「パソ子」という女(続き)
〽 男と女のあいだには ふかくて暗い河がある
パソコンは異性である、という話をした。治五郎はパソ子を操作している時、野坂昭如「黒の舟歌」=写真=の詞とメロディーを思い出す。
〽 誰も渡れぬ河なれど エンヤコラ今夜も舟を出す
男運が悪かったらしいパソ子は最近、身も心もズタズタ・ボロボロの状態で「私、もう寿命が尽きるのかも」と哀しい言葉さえ口にするようになった。
〽 しっかりせよと抱き起し 仮包帯も弾の中 (軍歌「戦友」より)
しかし回復の見込みはない。思い切って「初期化」することにした。消えては困るデータを小型の記憶装置(USBというのか)に保存し、パソ子を初期化する。独力では出来ない作業だが、外国籍の妻が半日がかりでなんとかやってくれた。
「あ、初めまして。パソ子と申します」
嗚呼。苦労続きで酸いも甘いも噛み分けた女が、生娘みたいになっちゃって!
【酸い】「すっぱい」の意のやや改まった表現。「ーも甘いもかみ分ける〔=『酸い』を『粋』にかけた表現〕」
【噛み分ける】いろいろな物を味わった経験が有り、甘い・酸いなどの見分けがすぐに付く。〔物事に対処してそれぞれに対する的確な判断が下せる意にも用いられる〕「酸いも甘いもかみわけた苦労人」
【生娘】まだ世間や男を知らない若い女性。
生娘(きむすめ)どころか「ここはどこ? 私は誰?」状態だ。
相手は「板状の物体」だから、抱きしめたら異様な光景が現出するだろう。思いとどまったが、抱きしめたくなったという事実をワタクシは否定できない。