匿名と人権と血圧

f:id:yanakaan:20180531194523j:plain

最近は毎日、テレビで何度となく目にするシーンだ。匿名インタビュー=写真=。

首から下だけ映し(しばしば声も加工する)、その人の家族でもなければ(家族であっても)誰が話しているのか分からないように出来ている。重要な〝証言〟をする当人が危険にさらされるなど、やむを得ない場合もあるだろうが、最近はこんなインタビューの仕方が〝常態〟になりつつある。面白くない。

匿名報道というものは、それだけでニュースの価値が半減する(というか、限りなくゼロに近づく)。「男性が男に刺されました」って、それはニュースか? 「昔むかし、あるところに」と聞いたら、子供だって「あるところって、どこ?」と突っ込みたくなるだろう。

人権尊重とか個人情報の保護とか一応、お説ごもっともだが、過ぎたるはなお及ばざるがごとし。 治五郎は「原則、実名報道」の立場を取る者で、加害者の人権より被害者の人権を優先すべきだと考える。それが逆になっているから、少女殺害の累犯者が、数年後には野放しにされてまた次の犠牲者が出る。一体、いつまで繰り返されるのだ。

(だんだん血圧が上がってきているのを感じる。いま手元に血圧計はないが、137ぐらいだろうか。今夜は152ぐらいまで行くかもしれない)

「病める巨象」というか「黒い巨塔」というか、日本一のマンモス大学のアメフト部が起こした1事件が、「私大とスポーツ」全体の大問題になっている(そういう認識がないのは、今や日大の上層部だけ)。一体、どういう大学だ! (血圧141)

今回の事態も、加害者の学生(宮川君)が悩んだ末に実名と顔をさらして記者会見に臨み、真相を暴露していなかったら闇に葬られていたに違いない。

首から下だけのインタビューが始まると、治五郎は「またか!」とウンザリしながら眉に唾をつける。言っていることが真実であっても、その言葉を真に受けることはできない。高音や低音に加工された声がまた、いやらしくて不快だ。(血圧146)

マスコミ側も、この手法を用い続けると、いつか自ら墓穴を掘ることになるのではないだろうか。批判を封じるために使われるT大統領の「フェイク」や、A首相の「印象操作」という言葉に読者や視聴者が共鳴するようになっちゃ、おしまいだぜよ。

オッ、血圧はピッタリ152だ。(数値に根拠はありません)