天災は忘れる前にやって来る

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どうも、月の満ち欠けが早くなってきてないか? とは最近もブログに書いた治五郎の実感。年のせいだろうと思っていたが、そうとばかりは言い切れないようだ。

関東大震災(1923年)が今から95年前。それを〝忘れた頃〟に阪神淡路大震災(1995年)=写真=が起きて「ああ、寺田寅彦の言った通りだ。次は2050年の見当かな」と思っていたら、2011年に東日本大震災だ。

戦禍は人災だから除くとして、大勢の人が予期せずに死んだ「大震災」は、約100年の間に3回ということになる。(計算は合ってるかな?)

18日の朝、寝ぼけて聞いた地震のニュースには「おお、ついに起きたか! 南海トラフか東海か」と思ったが、自然は人間より賢いので「次はこの辺」と思わせておいて、急に再び関西を襲うという、ブラジル仕込みの「フェイント」に熟達している。

よほど運の悪い人が今回も何人か犠牲になったが、大震災には至らなかった。

ふた昔前に比べると、首相官邸気象庁もマスコミも、対応がずいぶんスピーディーになったと思う。発生から2時間後には、大体の被害規模がほぼ正確に伝えられた。「危機管理」に力を入れてきた結果だ。(ここが日大上層部・広報との大きな違い)

しかし気象庁のスラスラした発表を聞いていると、不満も感じる。

「震度とマグニチュードの違いは、ワシだって知っとる。地震が起きて家を飛び出した人に『火を消して』と言ってどうするんじゃ? それより『次の大地震は、〇〇ではなくXXで起きます』と直前に言ってほしい。一度でも言ったことがあるか?」

ひとことで言えば「人間は自然に弄ばれている」ということに尽きるが、仕方がないのではないだろうか。地球の怒りも、どんどん加速しているのだ。