高さと広さと深さに対する人間の認識について

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富士山の3776メートルという高さはどのくらいのものか? それは、例えば三保の松原静岡県)=写真左=に立てば一目瞭然。ここと山頂との標高差が、それだ。和歌山県や栃木県からも見えるというから、相当な高さと言えるだろう。

しかし、3776メートルを垂直ではなく水平に置き換えて考えたら、どうなるか。JR山手線の駅と駅の間が平均1.2キロらしいから、わずか3~4駅の距離に過ぎないということになる。少し意外な気がしないか。

国際宇宙ステーション(ISS)は、地球から約400キロの距離にある。ものすご~い高さだと思いがちだが、400キロといえばアンタ東京~盛岡、東京~神戸ぐらいの距離しかない。かなり意外な気はしないか。(しない? あっそ)

台風=写真右は進路予想図=の時など、日本は半径何百キロという範囲で雨雲に覆われるが、雨雲の高さ(=低さ)に比べたら、その面積はベラボウなものだ。イメージとしては、地球の表面(の一部)が広大なオブラートをかぶせられた状態で、山の高さなど物の数ではない。そう思わないか。(思わない? もう、どっか行ってなさいね)

もっと分からなくて怖いのは「深さ」の問題で、ジュール・ヴェルヌの古典的SF「海底二万哩(マイル)」の世界などは想像を絶する。そして、宇宙に比べて地球の内部がどうなっているのかは、研究と解明が著しく遅れているように思える。

さて、ここからが〝思索家〟治五郎の持論。

文化に3種あり。「高める文化」と「広める文化」と「深める文化」だ。優劣の問題ではない。ワシが「深める文化」に最も惹かれるのは、それが「底知れない」からにほかならない。(さっき出ていった人も、戻って議論に加わりなさいよ)