なかなかいける「ノーナレ」

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 「ノーナレ」だなんて、また一つ意味不明のカタカナ語が出てきおった。ノーギャラやノーパンなら分かるが、西日本の一部で「無うなれ」と言ってるつもりか? と苦々しく思ったら「ノー・ナレーション」の略らしい。うぬ、猪口才(ちょこざい)な。

【ちょこ才】〔口頭〕〔「ちょこ」は擬態語。ちょっとした才能しか持っていない意で、侮蔑を含意する〕こなまいき。「―な事を言う」

 <ノーナレ 青春映像詩 甲子園に行けなかった 夢破れた高校球児物語 外国人撮影チーム密着 129人のメンバー争い> 猪口才な!

なにしろ100回記念だというので、今夏の甲子園野球大会はテレビが〝官・民〟を問わず手を代え品を代え、いろいろ毛色の変わった番組を作っている。

「ノーナレ」をやったのは〝官〟の局で、たった25分の番組=写真=だから、その内容はTV欄の< >内の説明で十分すぎるくらいなんだが・・・これが、良かった!

治五郎は、TVのナレーションというものが好きになれない。バラエティーならまだしも、ニュースの中でさえ横行している。ナレーター(というか声優)が余計な思い入れと過剰な表現によって、明るく無邪気な人物や暗くて陰険な性格を声で演じ分けるのだ。見え見えの印象操作に最近、ワシの怒りは沸点に達しようとしている。

NHKのノーナレ甲子園は、神奈川県大会で敗退したチームの選手や監督の表情と声を伝えるだけで、説明は最小限の文字のみ。感動を安売り(強制)するナレーションがないと、こうも印象が違うものかとワシは少し感動した。