「先祖」と「祖先」はどう違うか

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「どう違うったって・・・同じようなもんじゃないの?」と我々凡人は思いがちだが、そういうことまでもキッチリ説明せずにいられないのが新解さんだ。他の辞書で「先祖」を引けば「祖先」、祖先を引けば「先祖」と載っているのとは訳が違う。

【先祖】㊀家系の初代。㊁一家の現存者以前の人びと。「―の位牌を汚す/ー代代」

【祖先】「先祖」の意の改まった表現。〔「先祖」は「御先祖様」のように具体的な用例を伴って、「祖先」は「祖先の霊に」というように抽象的な意味に区別して使うことが多い〕

これを治五郎流に解釈してみよう。

 先祖㊀は、「うちの先祖は清和天皇です」と言うような場合で、あまり耳を貸す必要はない。難しいのは先祖㊁のケースだ。ここに幸平(23)という青年がいたとしよう。

幸平は、父が幸太郎(49)。幸平をかわいがってくれた祖父の幸吉は、生きていれば77歳だが65で病死した。曾祖父の幸右衛門は白寿(99)だが存命で、ずっと施設にいる。そのまた父の幸太夫は、昭和初期に何かの事件で殺されたと聞いている。

さて、幸平にとって「先祖」は誰々か。新解さんによれば「現存者以前」だから、祖父の幸吉は先祖だが、曾祖父の幸右衛門は(まだ)先祖ではない。(その前の幸太夫は、もちろん押しも押されもしない先祖である)

「御先祖様」という具体的な用例を抽象的な意味と区別して使うことは、意外に難しいものだということが分かってもらえるのではないかと思う。

「先祖代々の墓」=写真=というものに、疑問を感じる人と感じない人がいるという。不肖・治五郎は、どちらかと言えば(言わなくても)前者である。抽象的な意味で「祖先の霊」を祀る気持ちが全くないではないが、次の歌に妨げられているのだろうか。

〽 そこに私はいません 眠ってなんかいません

季節が季節でもあるし、当ブログもしばらくは〝先祖シリーズ〟が続くかもしれない。