モンゴルの親類について語れという注文
当ブログの読者は限られているはずなんだが、多くはない読者から「アルタンやバルジンは、どういう一家なのか」という質問が寄せられるようになってきた。
いいよ、別に隠すような話ではない。彼女らは6人きょうだいで・・・と語り始めたら隣で「ブログでプライバシーをあまり明かしちゃダメよ」と釘を刺すやつがいる。
構うもんか。6人は次の人々(A~F、年齢順)です。
A(♂) モンゴル各地で「空港長」(規模からすると「飛行場長」)という仕事を歴任。ワシは一度、2012年だかに田舎の空港(飛行場)で会ったが、英語の会話能力に差があってあまり意思疎通できなかった。その後もオーストラリアや米国で妻子と暮らす日が長く、英語力の差は開く一方。
B(♀) これが妻のアルタン。
C(♀) これが義妹バルジン。沖縄から戻って、今朝は下赤塚への出勤を前に静かな寝息を立てている。夏休みが終わるので、今週末には帰国予定。
D(♂) 名は「オチル」。どこかから落ちたわけではない。モンゴル語のオチルは、ワシの解釈では「理」というくらいの意味で、人名によく使われる。数年前に脳腫瘍が見つかって命が危ぶまれたが、いろんな人の協力を得て大阪の医大で治療。帰国後に結婚し、男の子を授かった。
E(♂) 田舎=写真=で長く遊牧生活を送った。まだ会ったことはない。
F(♂) ウランバートル育ちの都会っ子だが、これもまだ会ってない。
6人きょうだいというのは日本では珍しくなったが、向こうではアハー(お兄ちゃん)とエグチェー(お姉ちゃん)は非常に尊敬される。いわんや両親に於いてをや。
昔、ボルドという運転手と酒を飲んでいたら「治五郎サン(ではなく本名)を見ていると、うちの親父を思い出す」と言って、さめざめ泣きだした。
「お父さんは、いつ亡くなったんだ?」「いや、まだピンピンしてます」
ボルドは単なる泣き上戸なのだった。