あゝ 日暮里駅

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日暮里駅のタクシー乗り場=写真=に行ってごらんなさい。驚くなかれ、利用客の3組中2組が今は外国人(という印象)だ。

初めて来日した外国人(富裕層を除く)は、とりあえず成田から京成スカイライナーで日暮里まで行くのが最も効率的だということを予習しているらしい。

昭和30~40年代の東北人にとっては上野駅が「北の玄関口」で、井沢八郎の「あゝ 上野駅」という歌が一世を風靡したものだが、上野にはもはや始発駅・終着駅という重みがない。現代の異邦人にとって「心の駅」はニッポリなのかもしれない。

モンゴルに帰る姉妹の準備が整って、成田までのルートを相談している。「都電で町屋まで行って、京成線に乗り換えて高砂から・・・」とか言っているから助言した。

「タクシーで日暮里へ行った方が、早くて安くて楽だと思うよ」

そうすることになって、土産物の詰まった大型スーツケース2、大型布バッグ1、その他もろもろの荷物を外へ運び出したところで、運よくタクシーが拾えた。

女性リーダーが、うっかり「成田」と口にしたもんだから一瞬、運転手の「おっ」という気配が感じられたが「いや、日暮里へ」と訂正されたので、彼の期待は「ぬか喜び」に終わった。

【糠喜(び)】喜んだあとで、実はまちがいによることが分かったこと。「―に終わる」

 普通の夫や義兄は成田まで荷物を運んでいくのだろうが、治五郎にそれを期待してはいけないだろう。こっちも、空港の免税店を何時間も歩き回ることには耐えられない。

日暮里で見送った後は、駅下の大衆レストランで「節酒」の誓いを新たにするため、ビールの中ジョッキを一杯飲んだ。(ばらすんじゃねえぜ、頼むから)