一人暮らしをするに「やぶさか」ではないが・・・

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やぶさか【〈吝(か)】〔ためらいを感じる意。一般に「・・・にーでない」の形で〕そうすることに▵努力を惜しまない(何のためらいもない)の意を表わす。「過ちを改めるにーでない / 協力するにーでない」

新解師匠の説明に、治五郎ごときが補注を加えるのは僭越であるが、この「~するにーでない」という表現には屈折がある。「何の抵抗もなく喜んでそうしたいわけではなく、微妙な状況下にある」という、話し手の(何らかの)事情が感じられるのだ。

 独身時代は別として、ワシは10年以上にわたる「谷中時代」という、事実上の一人暮らしをした経験がある。炊事・掃除・洗濯を全くしないわけにもいかないので、それぞれの基本的なコツは身につけた(つもり)。

しかし久しぶりに(10日余りとはいえ)一人暮らしをやってみると、その技能が衰え果てていることを実感させられる。キャベツを半個でも買ってきたら、腐る前に食べきれない。俗に言う「一人口は食えないが、二人口は食える」は、ひっくり返せば「二人口は食えるが、一人口は食えない」となる道理だ。(本来の意味は少し違う)

治五郎とてパン(いや、酒)のみにて生くるにあらず。たまには肉や魚も口にしなければならない。1日350グラムもの野菜を摂取しろだなんて、そりゃ無理どすがな。

こうして調理の腕は生かされなくなり、掃除はおろか衣類を洗って乾かす技法=写真=などは忘却の彼方に飛び去る。「食」は(人によっては「飲」)命を保つために不可欠だが、掃除や洗濯は必ずしも生命維持と直結しない。

「男やもめに蛆が湧く」という言葉が生じるのは、このような事情による。

ワシの周囲では老若男女を問わず、なぜか一人暮らしが多いのだが、彼らは「食」以外の膨大な家事も、ちゃんとやっているのだろうか? 

ちゃんとやっているのである。ワシには真似ができず、尊敬するするしかない。