幼き日の物語 奇跡の新訳

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(以下は10年前の8月、治五郎が自紙の文化面に書いた記事。上のタイトルは見出し)

幼いころ親に読み聞かせてもらった本は、人格形成に少なからず影響する。日本学術会議会長で宮内庁皇室医務主管の金澤一郎さんが60年以上前に親しんだ『わし姫物語』を思い出したのは3年前。有識者16人による「こころを育む総合フォーラム」」の席上、読書が議題になった時だ。

いたずら好きな王女キルディーンは両親に甘やかされてわがままな子に育ち、国の外れの高い塔に置き去りにされた。厳しい目をした鷲たちのもとで、感謝する心や礼節を少しずつ身につけていく。フランスの画家が描いた精密で美しい挿絵も、金澤少年の心に深く刻み込まれた。

「主人公を囲んで立つ鷲たちの姿など、とても印象的だった。紙は粗末だし絵も白黒でしたが、深みのある物語に何か大切なものを学んだように思います」

原作者は、19世紀末に英王室からルーマニア王家に嫁いだマリー女王。1942年に日本で出版された本を訳したのは精神分析学者の故・大槻憲二氏だった。金澤さんは今の子供にも読ませたいと思ったが、本はとっくに絶版。一昨年、国際子ども図書館でようやく見つけ、復刻できないかと大槻氏の縁故者を探した。難航の末、インターネット検索で「私の祖父、大槻憲二」の一節に出合う。

その孫娘、長井那智子さんはイギリス経験が長く、英文学に詳しいエッセイスト。金澤さんの相談を受けて、自ら新訳を引き受けようと決意した。原作は容易に見つからなかったが、ロンドン在住の友人に協力を求めたところ、古書店で1922年発行の希少な初版本が奇跡的に発見された。

こうして今夏、読みやすい文章にカラーの挿絵も多い『わしといたずらキルディーン』(春風社)=写真=が出版された。長井さんは<手元に届いた布張りの大型本を開いた時、不思議な感動が私を包みました>と、あとがきに記す。祖父の励ましが聞こえるようで、縁ということを思ったという。

書物の「生命力」を象徴するような出来事である。<2008年8月5日付「読売新聞」>

(長々と転載したのは、今夕のサンド会に長井那智子さんが来てくれるという情報が入ったから。一緒に取材させてもらった〝天皇の主治医〟金澤一郎さんは2年ほど前に亡くなったが、長井ナッちゃんとは一昔前の思い出話に花が咲くことだろう。しかし、ワシのウサギ小屋みたいな隠居所に足を運んでくれるとは奇特な人である)