スター大量生産の時代に、ついて行けない

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いずれアヤメかカキツバタ〔=① 二つの物が よく似ていて、区別しにくい形容 ②二人の女性の美しさが甲乙つけがたい形容〕

上に三人の人気女優の写真を並べてみた。どれが誰なのか、治五郎には峻別できない。みんな違って、みんな綺麗というしかない(個々のファンは怒るなよ)。

昔は全国各地に「〇〇小町」というのがいて、男たちの激しい争奪戦の末、どこかの有力者(のドラ息子)に嫁いだ。(その一人が私だったんだよ、と嘆くな婆ちゃん)

なぜ、美人は女優になりたがるんだろう? 「私は、この地元役場で働くのが子供の時から夢だったんですよ、今でも」とか、「会社で書類をコピーする瞬間に、たまらない喜びを覚えます」という人は、どうして存在しないのか?

存在はするんだろう。存在はするんだろうが世の中、そうは問屋が卸さない。仲のいい同性の友達と一緒に、ちょっと青山や六本木を歩いてみれば、百人に一人か二人はスターになる機会に恵まれる(二人か三人はアダルト関係)。

その際、友達の方に声はかからない。もしも本人ではなく、その友達に声を掛ける男がいるとすれば、そいつは天性の女衒(ぜげん)であろう。

【女衒】江戸時代、遊女奉公の手引きをした人。

むろん、ワシが女優と遊女を同列視しているわけではない。が、青山でスカウトされた彼女は、なぜ有名女優への道を固辞しないのだろうか。役場とかコピーとかの夢は、どこへ消えてしまったのだろう。(夢の質に、何か違いがあるのか? ワタクシは、そう思いたくない)

スターと言ったらアンタ、そりゃ吉永小百合しかおらんじゃろう。という時代は遠くなった。今は覚えきれんのじゃ。どうしてくれる?(どうもならん)