「贈収賄のネズミ講」とは名言である

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 デーモン閣下=写真左=のことを、テレビのニュース番組が「デーモン閣下さん」と呼んでいるのを聞いた。「デーモン閣下」という芸名に「さん」を付けるのは間違いではないだろうが、何か違和感がある。「天皇陛下さま」みたいな・・・。

どうもデーモン閣下には、デビュー当時から「芸名そのものが尊称付きなら、吾輩の尊称を省くようなマスコミは現われないはず」という〝読み〟があったのではないか? とワシは踏んどる。ま、それはさておき。

中国出身の、有名女優やインターポール(ICPO=国際刑事警察機構)総裁が消息を絶ち、だいぶたってから祖国の処分内容が発表されるという事態が続いている。罪状は巨額の脱税その他とされるが、真相は常に藪の中だ。

この大国が、報道や表現の自由に関して遅れていることと言ったら100年や200年のスケールではない。治五郎が思うに紀元前、秦の始皇帝=右上=が行ったという「焚書坑儒」の伝統が今も脈々と生きている。千年、2千年を超す歴史の重みとでも言おうか。

役人の贈収賄が後を絶たないことについて、上司に賄賂を贈るためには部下から賄賂をもらうしかないという〝連鎖構造〟があることを評して、デーモン閣下は先日「贈収賄ネズミ講」と表現した。一瞬「吾輩も上手いことを言ったもんだ」というドヤ顔になったのだが、司会者がフォローできなかったのは惜しまれることだ。

こんなことを書くもんだから、治五郎はかの国の当局から快く思われていないらしく数年前、前身のブログ「谷中庵日録」が北京では読めなくなっているという報告を、旅行中の友人から受けたことがある。

「まさか」と思ったが、ここ一両日、日本でも「治五郎日記」が読めなくなり「すわ、サイバー攻撃か」と身構えたが、これは例によってワシのミスタッチのせいで画面が消え、復元できなかったのが原因のようだ。

忘れた内容を思い出すのに手間がかかり、復旧に時間を要した。お騒がせしました。