ハロウィンに反発する〝縄文の血〟

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治五郎はバカかもしれないが、バカ騒ぎは嫌いだ。大っ嫌いだ。

近年、この季節に渋谷で繰り広げられる若者のバカ騒ぎが社会問題になっているようだけれども、現象そのものは別に目新しいものではない。暴れるのが若者である。

ワシより少し上の「団塊の世代」は、今でこそ「愛されるお爺ちゃん」や「生きてるだけの寝たきり老人」になっているが、昔は大学構内や国会周辺でずいぶん暴れ回ったらしい。(彼らの多くは、当時の話になると2階に逃げたりトイレに隠れたりする)

かつて「政治」に夢中になった20代の若者が、現在はSNSやアニメ、ゲーム、アイドルの握手会などに情熱を傾けている。有り余るエネルギーは、どこかで発散しないと体に悪いから、たまには外に出て暴れた方がいいのかもしれない。

しかし渋谷のバカ騒ぎを(TVなどで)見ていると、本能的な嫌悪しか感じられなくなっている自分に気づかされる。「仮装が楽しい」という心事が、まず理解できない。

ハロウィン=写真①はカボチャをくりぬいた「ジャック・オー・ランタン」=というのは本来、アイルランドなどで行われた古代ケルト民族の習俗だそうで、日本で言うと盆と正月を一緒にしたような信仰心が源だという。縄文人=写真②は青森県出土の「合掌土偶」=に共通するものがある。

それがアメリカに渡ってキリスト教的な脚色を施されてから、おかしなことになる。変なものが20世紀後半、日本にやって来たからますます変なことになった。日本人全体の幼児化に製菓会社や東京ディズニーランドの企みが加わると、いよいよ変になる。

「シブヤに行けば非日常を体験できるらしい」という噂が拡散して、田舎の若者ばかりか世界中の賢明ならざる若者が集まってくる。そう不思議なことではない。

これは、しかし若者に限らないのであって、ワシなどは幕末に大流行したという「ええじゃないか」騒動を連想する。日本人には、長続きはしないに決まっているが一時的なブームに踊らされる習性があるのではないだろうか。

「人が群がる場所には行かない」という、ワシの幼時からの直観は正しかったと思う。(そこの爺さん! 面白がって、きょう明日は渋谷へなんか行くんじゃないよ。踏み潰されても「自己責任」だから、同情する人はいないよ)