「海の親子丼」と極悪非道な私

 

 

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いただき物だが新潟加島屋の「さけ茶漬」「いくら醤油漬」=写真=をセットで味わった。熱々の白飯に鮭のほぐし身とイクラを載せ、刻み海苔と大葉(青じそ)を少々。炊き立てのご飯だと、お茶や湯をかける必要はない。

お歳暮などで喜ばれる逸品らしいが、治五郎は贈答ということをした経験がほとんどないので、こういうものを食する機会は滅多にないのだが・・・うん、うまい! 近所のスーパーで鮭とイクラを買ってきても、こういう味は実現できない。

ワシは東北(どちらかと言えば日本海側)の出身だから、鮭とイクラが大好物なのは当たり前なのだが、不思議なことには、海の魚を知らずに育ったモンゴル人の配偶者が、これまた鮭イクラ丼を「日本の味ベスト3」に挙げる変わったタイプ。

「うーむ」「あ~」。しばらく黙って食べることに集中した後で、彼女が疑問を投げかけてきた。「なぜ鮭イクラ丼って、こんなにおいしいの?」「鮭とイクラは親子だからだろう。鶏+卵=親子丼と同じ道理・・・」と言いかけて、ワシはハッとした。

そうか! 親と子を同時に口中に投入・咀嚼するから、親子丼や鮭イクラ丼の味はこれほど調和・バランスが取れているのだ!

これはしかし、よく考えると悪魔の発明だ。鬼畜にも等しい極悪非道の発想だ。

【鬼畜】㊀人間より劣った、心ない存在とされる、鬼と畜生。㊁残酷で人情の無い者。

【極悪】〔人の心や行状が〕悪に徹底している様子だ。「―非道・―人」

【非道】道理・人情に反する▵こと(様子)。「―なやり方/極悪ー」

親子丼におけるミツバ、鮭イクラ丼における青じそ。これらには極悪非道な食品を開発してしまった日本人の、鶏や鮭の親子に向けた悔恨・供養の意味が込められているのではないだろうか? (たぶん込められていない。味が引き立つのが理由)