キミは救急車の音に懐かしさを感じないか

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「懐かしさ? 全く感じないなあ。うるさくて迷惑なだけじゃないか」という人は、自室でブラームスでも「五木の子守唄」でも、好きな音楽を聴いてて下さい。

 遠くから聞こえてきた「ピーポ―ピーポ―」が接近し、目の前を通過すると「ポーピーポーピー」に変わる。(そうそう、確か「ドップラー効果」とか言うんだよ。うん、中学校の理科で習った)

あれが通過せず、自分の前でピタッと停まったので仕方なく乗り込んだという経験が、治五郎には二度しかない(二度もある、というべきなのか)。一度目は今世紀初頭、当時の谷中庵(第二次)で小宴中(というか直後)に吐血した時。二度目は数年前、郷里で老親と同居中に父親が急な体調不良(脳関係か)を訴えたので、ワシが119番した時。(どちらも大したことはなかった)

うんと若い頃は好奇心の旺盛な新聞記者だったから、出動する消防車や救急車に同乗させてもらったこともある。いちいち赤信号で停車せず〝皇族気分〟を満喫したが、自分が当事者となれば、そうも言っていられない。

 消防車のサイレンは、さすがに緊迫感がある。少しでも到着が遅れれば大火になる可能性だってあるのだ。(今でも、あのサイレンが聞こえると落ち着いていられない)

対して救急車のピーポー(あるいはポーピー)には、表現は不穏当かもしれないが〝牧歌的〟な響きがあるように思う。

【不穏当】物の考え方が極端であったり 表現したところが事実と異なっていたりして、だまって見過ごすわけにはいかないという印象を与える様子だ。「殺すの死ぬのとーな発言は慎むべきだ」

ちょっと体調が悪いだけで、タクシー代わりに救急車を呼ぶ高齢者が最近は少なくないそうだ。ワシが次に救急車を呼ぶのは、いつのことになるだろうか。