時間の流れ方に関する科学的な一考察

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「どうも、時間の過ぎ方が昔とは違う」とは誰もが、年を取ると実感するのではないかと思う。これを科学的に追究してみようと治五郎は思ったのである。

近所(直線距離で推定120メートル)の地蔵寺が、朝と夕の6時に鐘を鳴らす。 写真のように住職が出てきて撞くわけではなく、機械仕掛けである。従って正確だ。

以前、その間隔を計ってみたことがある。6時ちょうどに最初の鐘が鳴り、きっちり30秒ごとに6回鳴る。30秒✖6=180秒であり、これを分に換算すると60秒が1分だから180秒÷60=3分という計算式が成り立つ。(少し難しいが、合ってるかな?)

治五郎は本来、体内時計が割と正確なことで世の人に知られてきた(世の人って、誰よ)。時計やテレビ、ネットなどを見ずに半日を過ごした後で、ふと「いま何時だろう。4時40分ぐらいか?」と思って時計を見ると4時39分だったりして、我ながら「オー」と感心した経験が何百回あるか知れない。

ベランダに出て、地蔵寺の鐘の間隔を改めて計測してみた。30秒が経つ直前に時計を見ようという計画なのだが、これがことごとく失敗した。最初の鐘から次の鐘の間が、実際は相変わらず30秒なのだが、ワシが「今だ!」と思う瞬間は数秒前に訪れる。平均すると、ワシの24~26秒が世間の30秒らしいのだ。

この実験によって何が証明されたか? 「時間の流れ方は、個体の年齢による差異が増大する」という事実ではないだろうか。「気のせい」などという主観の問題ではなく、個体内部に於いて着実に進行する客観的な時間認識の変化と言わなければならない。

ゴ~ン・・・と、変わらぬ時を刻む地蔵寺の鐘。

日産その他のトップを兼ねた大富豪のゴーン容疑者は今ごろ、小菅の拘置所内で何を考えているのだろうか。(この損失をどうすれば早く取り戻せるか、と考えているんだろう)。地蔵寺の鐘(機械仕掛け)が、今朝も鳴りだした。

ゴ~~ン・・・・・