クジラを食いたい世代の罪
商業捕鯨の再開に向け、日本政府が国際捕鯨委員会(IWC)から脱退する方針を固めた。過半を占める反捕鯨国が反発を強めているが、ある年齢から上の日本人としては、学校給食で馴染んだ鯨肉の味が食卓に戻るという期待をどうすることもできない。
あれは刺身、大和煮、竜田揚げなど、どう食ってもうまいものだが、極め付きはクジラのベーコン(略称クジベー)だろう。
【ベーコン】ブタなどの背中や腹の肉を塩漬けにして燻製にした保存食品。
鯨と言えば、金子みすゞの詩に「鯨法会(くじらほうえ)」がある。
鯨法会は春のくれ、
海に飛魚採れるころ。
浜のお寺で鳴る鐘が、
ゆれて水面をわたるとき、
村の漁夫が羽織着て、
浜のお寺へいそぐとき、
沖で鯨の子がひとり、
その鳴る鐘をききながら、
死んだ父さま、母さまを、
こいし、こいしと泣いています。
海のおもてを、鐘の音は、
海のどこまで、ひびくやら。
みすゞの生地・山口県長門市仙崎に行くと、クジラ供養のモニュメント=写真①=があって、赤ちゃんクジラが母クジラの乳を吸っている。古来、肉を食って生きる人間の罪を私たち(の先祖)ほど感じてきた民族はいないのではないだろうか。
反捕鯨のアメリカやオーストラリアで、牛や豚を弔うという発想はあるだろうか。英語ではピッグ=写真②=とポークは別物だから、誰も心を痛めたりしない。
治五郎は、罪の意識で心を痛めながら「あ~、クジベー食いてえ!」と思う。(同じようなことを前にも書いたのを思い出すが、思い出すのは忘れたお陰である)