「無限」の概念
うむ、少し難しい話を始めたな治五郎は。
【無限】その物事の数量・程度などについて、限度があると認めることが出来ない▵様子(こと)。「―の空間 / ーの可能性」↔有限
無限なものの具体例を尋ねられたら、ある人は「宇宙」と答え、ある人は「人間の欲」と答えるだろう。どちらも間違いではないが、正解は無限にあるように思う。
若い記者時代に「戦車のキャタピラ」=写真①=と書いたら、デスクが「キャタピラは商標名だから、新聞では使えない」と「無限軌道」に直した。
(なあにが無限軌道だ、キャタピラの方が分かりやすいのに)と反発したものだ。
キャタピラ〔caterpillar=イモムシ〕 普通の車では通れない所でも走れるように、戦車・トラクター・ブルドーザー・雪上車などに取り付けてある無限軌道。〔商標名は、キャタピラー〕
【無限軌道】前後輪の代りに渡し掛けた鉄製のベルトを回転させ、車体を走行させる装置。また、そのベルト。⇨キャタピラ
キャタピラの説明には無限軌道が必要で、無限軌道の説明にはキャタピラが登場する。この関係もまた一つの「無限」と言える。(「堂々巡り」ともいう)
治五郎庵の大広間(推定6畳)には、モンゴルから送ってもらった絨毯が敷き詰めてある。品質は立派なものだから東京のデパートで買えば相当、値が張るはずだがウランバートルでは驚くような安さで手に入る。蛇の道はへびというではないか。
じゃ【蛇】(大きな)ヘビ。
【ーの道は へび】同類の(悪)者は互いにその社会の事情に通じている。
同類の(悪)者というところは、人が悪くて新解さんらしい。そして、正確だ。
この絨毯は随所に、特徴的な文様=写真②=が幾つも描かれている。これをモンゴル語では「ウルズィー」といって、チベット仏教由来の「吉祥マーク」らしい。バリエーションは無数にあるが要は、始まりも終わりも無い。「無限」なのだ。
紙の輪を一つ捻れば出来る「メビウスの輪」に似ていないこともない。
これは「輪廻転生」という発想に通じているかもしれない。生まれ変わりなど全く信じないワシだが、天体望遠鏡がなくても絨毯のウルズィーを見ていれば「無限の宇宙」を体感できる。これは結構、幸せな境遇だと思えてならないのであります。