「くもりガラス」論争の発端となったサスペンス映画

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若者にはピンと来ないかもしれない。ヒッチコック監督の「裏窓」(1954年)=写真=である。出演はジェームズ・スチュアートグレース・ケリーほか若干名。

 主人公(雑誌カメラマン)は足の骨折で身動きできず、暇だから毎日、双眼鏡や望遠カメラで向かいのアパートの部屋部屋を〝観察〟しているのだが、やがて真正面の一室の異変に気づき、殺人発生を疑う。友人の刑事を呼んでも信用してもらえない。探偵の助手を務めてくれた恋人や家政婦が危険に巻き込まれる。終盤のスリルが素晴らしい。

カーチェイスや空撮どころか、屋外ロケが全くない。こちらの一室と向かいのアパート数室(たぶん、セット)だけが舞台だから、俳優の出演料以外はほとんどタダだろう。こんなに安上がりなアメリカ映画を、治五郎は「12人の怒れる男」しか知らない。

何度も見た「裏窓」だが、今回は住環境ということを考えさせられた。1950年代のニューヨークはあれほど開放的で、向かいのアパートの室内が丸見えだったのだろうか。プライバシー保護のカケラも感じられない。

翻って、2010年代の日本>東京>西尾久のアパート(賃貸マンション)を考察してみよう。1階だと「階下」が見えないのは当然だが、高層階であっても一般に、他の部屋の入居者が見えることのないよう、設計が見事に工夫されているようだ。

ここで欠かせないのが「くもりガラス」である。湯気などで曇ったガラスではなく「すりガラス」と同義。太陽光は通すが、人の眼を遮断するやつだ。

わが1階のベランダに出ると、北隣のアパート(賃貸マンション)の窓が1階と2階に二つ見える。どちらも曇りガラス=磨りガラスだ。

1階に人が住んでいる気配はない。何かの倉庫にでも使っているのか、部屋に明かりがつくのは月に1度か2度。磨りガラス越しに、パソコンらしい物だけの光が常に稼働(数分おきに点滅)しているのが分かる。

2階はと言えば、ワシが隣の棟に入居して以来、部屋が消灯されているのを一度も見たことがない。つまり、電気つけっ放し。磨りガラス越しにカーテンの隙間が10センチほど開いていて、その状態に1年365日、少しの変化もない。

ヘンではないか? 治五郎の通報を受けた尾久警察署員が踏み込んだら、白骨死体が見つかったりするのではないか?

と思っていたら3日ほど前から、その部屋が真っ暗になった。カーテンもピッタリ閉まっているようだ。

気になる! サスペンスは、映画よりも日常にあるのかもしれない。