とうどく【悼読】文筆家の死を▵哀悼(記念)して、その著作を読むこと

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弔読(ちょうどく)とも言う。(ウソです。どちらも辞書には載っていない。それもそのはず、これらは治五郎が勝手に発明した語彙なのである)

各時代の優れた文筆家というものは、太宰治三島由紀夫を引き合いに出すまでもなく、死ぬ瞬間まで何をしでかすか分からない危うさがあるので(生存中は)評価を定めがたい。しかし死んでしまえば、こっちのものだ。

かん【棺】死者を葬るために遺体を納めるもの。「―をおおうて事定まる〔=その人の真価は生前の評判には必ずしもよらず、死後に定まるものだ / ー桶〕

2か月前に81歳で亡くなった文学研究者の十川(とがわ)信介という人をワシは名前しか知らなかったが、せっかくの機会だから「近代日本文学案内」(2008年、岩波文庫別冊)=写真=を悼読(弔読)してみた。

<㊀時代の主流を形成してきた立身出世の欲望 ㊁現実社会に飽きたらぬ、またそこからこぼれ落ちた人びとが紡いだ別世界の願望 ㊂新たに登場した交通機関、通信手段と文学との関わり――三つの切り口による近代日本文学の森の旅案内>とある。

 かなりの数の作家と作品が登場して、大学の教養課程の教科書にはピッタリの内容だと思うが、それゆえにワシが敬遠していた節はある。が、読んでみると<三つの切り口>はなかなかの着眼で、特に「他界と異界」を扱った第二章は圧巻。

「そのテーマで書くからには、よもや、わが内田百閒先生が欠落するようなことはありますまいな!」と身構えて読んだが、何ページかを彼に費やしていて内容も一応、納得できるものでホッとした。(21世紀の読者としては川上弘美あたりも加えてほしいが、それはまた次世代の文学研究者の仕事だろう)

全体として、今回の悼読=弔読は実りが多かった。ところが、先週はまた文芸評論家の高橋英夫さんが88歳で亡くなった。何冊か読んでいるが、印象は今ひとつ。せめて岩波新書西行」ぐらいは再読しないことには、故人に申し開きができない。

教訓:悼読とか弔読とか、自分の都合で新奇な言葉を発明してはいけない。