15年前に書いた記事を読み返して「縁」をかみしめる

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以下は、2004年8月に読売新聞文化面に治五郎が書いた署名コラム(一部略)。旧友たちから「38歳だかで長期出張したモンゴルにハマったのは知ってるが、その後の有為転変ぶりをもう少し知りたい」という声があるから、転載する。

<モンゴルの民族楽器「馬頭琴」の由来について、日本では年配者より若者や子供の方が詳しい。小学校の国語教科書で、少年と愛馬の哀しい民話「スーホの白い馬」に出合うから。

今年六月、草原の国の首都ウランバートルでビルグーンという名の乳児(男の子)が火事で全身に大やけどを負った。在日大使館の計らいで東京の病院に運ばれ、大手術を受けて九死に一生を得たが、今後も続く手術と治療に要する費用は千数百万円。モンゴル人の月収は普通、日本円にすると二万円程度で、この子の両親も例外ではない。

いち早く「ビルグーンちゃんを救う会」をつくったのは、モンゴル人留学生たち。親の仕送りなど望めない苦学生が多い。募金の銀行口座を開設し、新聞社やテレビ局を訪ね回った。反響は大きいが、目標には届かない。ほかに出来ることはないか。だれからともなく「馬頭琴のチャリティー・コンサート」という案が出た。「馬頭琴といえば、今ちょうど・・・」

母国で折り紙つきの奏者バトエルデネさん(29)=写真=が滞日中。本人の快諾を得て東京・市ヶ谷でのコンサート開催が決まった。収益は全部、ビルグーンちゃん一家に贈られる。

まとめ役のアルタンツェツェグさん(28)は今春、大東文化大大学院を修了した女性。「幸せとは何かという自分なりの哲学」を、日本でつかんだという。それが彼女を「救う会」の活動に駆り立てるのだろう。

民話の主人公スーホの涙が日本中の子供の心を揺さぶるように、名手バトエルデネの〝無償演奏〟は聴衆の心を揺さぶるはずだ。大事な時に「馬頭琴」という祖国の<伝統文化>を思い出した留学生たちーービルグーンちゃんは、大きくなったら彼らの存在をどんな言葉で語るだろうか。>

いかにも新聞が好みそうな「美談」に仕立てられていて、今のワシは好かん。が、嘘や誇張はどこにもない。まあ、そういう経緯があったということだ。

 「はっはあ、そのアルタンなんとかという女に治五郎は目を付けて言い寄ったわけか」

「目を付けて言い寄った」だなんて、あんたも品がないなあ。でもまあ、そういう話になるのか。15年前の火事で10本の指を失ったビルグーン(及び両親)とは、その後も何年かに一度は会っているが、やがて15歳になるはずの少年は、野口英世の2倍に相当する苦労を経験したはず。日本語ペラペラで学校の成績(特に理系)も優秀らしい。

もしもビルグーンが大やけどを負っていなかったら、治五郎の老後は全く別の様相を呈していただろう。(想像もできない)

人間社会の「縁」もグローバルになってきている、と実感せざるを得ないのである。