50年ぶりに「敦煌」を読む

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16歳、紅顔の少年(?)だった頃に読んだ。ということは、ちょうど半世紀前だったという計算になる。(この計算は合ってるかな?)

新潮文庫井上靖敦煌」=写真は当時の表紙=に出合ってシビレたのである。同じ頃に読んだ中島敦の「山月記」にもシビレた。こう見えても(どう見えるんだ)、治五郎は、そんな読書少年だったのだ。煌と中島の「敦」という文字(の姿形)が好きでたまらなくなり、やがては子供の名前に用いるまでに至ったのだった。

昨日と今日、 その「敦煌」を(ついでに「山月記」をも)一気に読んだ。人生の何たるかを知る由もなかった10代の頃、これらの文章が己に与えた深甚な影響について顧みざるを得ない。たとえば「敦煌」の中の一節・・・。

<行徳(ぎょうとく=主人公)はそれからずっと、いま自分が横たわっているこの場所に来るまでの長い過ぎ去った時間を遡り辿ってみた。併し、そこには自分の意志の不自然な動きもなければ、意志以外の何物の強引な働きかけもあるようには思われなかった。水が高処より低処へ流れるように、極く自然に自分は今日まで来たと思った。>

<自分が望んでそれを果たさなかったら悔いるということもあるであろうが、自分は辺土に来たくて辺土へ来、辺土に留まることが最も自然であったので、辺土に留まることになってしまったのである。>

初めて読んだ時は何も感じなかったが、いま読み返せば、この辺の記述に治五郎少年は相当ヤバイ影響を受けたような気がする。最近のベストセラーに便乗して、ひとことで表現するなら「一切なりゆき」(©樹木希林)なのである。