新生児の命名に関する私見

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太陽の塔」=写真左=と、作者の岡本太郎=同右=。タイトルと何の関係があるのかって? 何もありません。

治五郎が「お爺さん」から「お祖父さん」になったという話をした。よく「孫は子供より可愛い」というけれど、それは(ワシが生き永らえたとして)まだ先のことだ。

子供の名前は、他人に相談したり占いや字画に頼ったりするものではなく、生んだ親がそれぞれ独自の価値観に従って決めるべきものだと思う。

若い頃から、頑迷固陋だった治五郎には「長男は〇太郎、女子は〇子」という固定観念があって、それを強引に実践した。もちろん昭和の時代だ。名付けられた本人が迷惑を被ったかどうか、それは親の知るところではない。

あれから30~40年たって、命名事情は一変した。太郎の付く少年も、子の付く少女も、今や珍しい存在になってきている。どこの国の男なんだか女なんだか、そもそも人名漢字の読み方を定めた法律が日本国には存在しないから、小学校の先生なんかは最初の授業で困惑するだろう。

初孫の命名について、治五郎じいさんは何の指示もアドバイスもしなかった。内心、新元号に便乗した「令」は使ってほしくない等々、いろいろ言いたいことはあったが。

結果を聞いたら「花乃子(かのこ)」だというので心底、ホッとした。桜の季節に生まれた花乃子。ありふれていなくて、かと言って奇をてらっているわけでもない。なかなか、いい名前なのではないか。(すでに爺馬鹿?)

ところで、上掲の写真は何なのかって? そこでんがな。

「芸術は、爆発だ!」と叫んだ岡本太郎の芸術が、ワシにはよく理解できないのだが、縄文・東北・沖縄などに関する彼の著作には目を見張るべきものがある。

彼の母親が作家「岡本かの子」。女で「かのこ」と言えば、まず、この人を思い浮かべる読書人が多いのではないだろうか。(いやスゴイ作家だったのだ)

 今、岡本かの子の短編「鮨」を読み返しているところだが、新生児・花乃子の両親にも一度は読んでみてほしいな。