阿部定事件と治五郎庵の浅からぬ因縁 ①

① f:id:yanakaan:20190614164451j:plain  ②f:id:yanakaan:20190614164534j:plain

こんなタイトルをつけるから、また余計な誤解を招くのだが・・・

荒川区西尾久に(よんどころなく)庵を構えてから丸2年。地元の雑多な歴史にも少しは詳しくなってきた。

よんどころない【拠無い】〔拠りどころが無いの意〕そうするよりほかに方法がない様子だ。また、他のことを犠牲にしてもそうしなければならない様子だ。「ー用事」

驚いたことに、わが庵は阿部定(あべ・さだ)事件の現場から至近距離にある。せっかくだから(何が「せっかく」だ)、調査結果を公開しよう。阿部定事件なんて聞いたこともないという人は、スマホでゲームでもしてなさい。

昭和11年(1936)5月というから、あの「二・二六事件」から間もない頃の話。阿部定という一人の〝妖婦〟が世間を騒がせた。愛人を絞殺し、その男のアレ(つまりナニ)を切断したうえ、ソレを隠し持って逃走したが、ほどなく捕まった女である。

アレとかソレとか表現に苦労するが、要するにそういう異常な猟奇事件が発生して、ワイドショーどころかテレビもない時代に世の中の耳目を集めた。大衆というものは昔から、この種の事件に無関心ではいられないのだろう。

のちに大島渚監督「愛のコリーダ」=写真①=などの映画も作られ、海外でも有名になって、阿部定の存在は人々の記憶に刻まれた。彼女は、刑務所を出てからも長生きしてマスコミの追跡にも遭ったらしい。恐ろしい女の何が、そう人を惹きつけるのか?

よく引き合いに出されるのが、高輪署で逮捕された後に撮影されたという〝記念写真〟=写真②=だ。被疑者も、取り調べた刑事らも、実に朗らかな「いい笑顔」を見せている。「何なんだろうね、この笑顔は」と不思議に感じる人が多いだろう。

 事件現場の所轄・尾久警察署は(当時も今も)わが庵から徒歩3分の距離にある。2年前、運転免許証を返納しに行った時は(サツの世話になるには便利な立地だ)としか感じなかったけれど、よもや、道の途中に阿部定事件の現場があるとは思わなかった。

よもや〔副詞「よも」に感動の助詞「や」の付いたもの〕万が一にも そのような可能性は無いと判断していることが実現した状況を想定する様子。また、あってはならないと思う様子。

ワシは、阿部定事件の現場が近所に「あってはならない」などとは別に思わない者であるが、昭和10年代の尾久が如何なる地域であったかを想像する「よすが」にはなる。

よすが【縁】〔「寄す処」の意〕何かをする上で、たよりや助けとなる▵もの(こと)。「身を寄せるー〔=よるべ〕も無い / 先生を偲ぶーとする」

今回は「よ」の項で新解さんの世話になった。尾久の歴史については、また今度ね。