阿部定事件と治五郎庵の浅からぬ因縁 ②

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さて、わが街・西尾久の歴史である。JRは尾久駅を「おく」と読ませているが、これは旧国鉄のシロウトがそう呼んだのであって、古来「おぐ」が正しいようだ。

 大正2年(1913)、飛鳥山~三ノ輪の間に「王子電車」(のちの都電荒川線)が開通した。翌年、西尾久の碩雲寺(せきうんじ)=写真=という寺の住職が井戸を掘っていると、温泉(ラジウム鉱泉)が湧き出して、周りに温泉旅館が幾つも出来た。

ちなみに、碩雲寺の並びには読売新聞の販売店があって、治五郎は朝な夕な、そこから新聞を配達してもらっている。

やがて一帯は「三業地」として知られるようになる。三業地というのは、料理屋・芸者置屋待合茶屋の3業種が営業を公認された歓楽街=花街のことで、待合茶屋とは何かというと(治五郎もよくは知らないのであるが)、まあ、今風に言うと「木造1~2階建ての和式ラブホテル」といったところか。(本当に、よくは知らんのです)

そういう建物が、この界隈には集中しておったと思いねえ。その一つである「満佐喜」という待合で、阿部定は例の事件を起こした。むろん今は跡形もなく、割烹&レストランとガソリンスタンドがあって、その先には尾久警察署がある。

83年前、近くの地蔵寺が撞く鐘(今の機械式ではなく、住職か寺男が手で撞いたはず)の音を、彼女も聞いたのだろうか。

阿部定のように過剰な「深情け」はなるべく敬遠したいものだが、ご近所の「よしみ」を感じないわけにもいかない。

ふかなさけ【深情け】異性への深い愛情。「悪女のー」

よしみ【誼み・好み】㊀(親しい)交わり。「―を結ぶ / ーを通じる」㊁何かの縁でつながりが有り、仲間意識が働いて、すげなくは扱えない関係。「昔のーで」

ここで治五郎が言う「よしみ」は、もちろん㊁の意味だ。それにしても「すげなくは扱えない」という、この辺の語釈と表現にワシは新解さんの〝芸〟を感じる。

すげない 相手の心情に対する思いやりが全く感じられないような応対をする様子だ。「すげなく断わられる」