どこへ行くのか高齢「歌壇」

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 17日付朝刊「読売歌壇」より

岡野弘彦

大正の末に生まれて平成の終りも知らずただ眠る母

【評】母上は大正十五年三月の生まれだそうだ。私より二年、お若いわけだ。こういう御代替りの時は、改めて自分や親しい人の年齢を考えさせられる。どうぞお大事に。

小池光 選

曽祖母と並んで写りいるひ孫その子九十五歳となりぬ

【評】古い古い写真が出てきた。曽祖母と並んで幼いこどもが写っている。そのこどもがわたくし、すなわち作者。今年九十五歳となった。万感迫る思いであろう。

栗木京子 選

買物はマイカーやめてバスで行く孫とむすんだ小指のげんまん

【評】高齢ドライバーによる事故がたびたび報じられている(以下略)。=写真は、池袋の暴走事件で現場検証に立ち会う87歳の御老体。短歌と直接は関係ありません=

お~い。どの歌もなかなかいいけれど、もう少し若い人の作品はないのか?

治五郎のような書き方をすると、この「読売歌壇」には高齢者しか投稿してこないような印象を受けるだろう。そこが問題だとワシゃ言うとるんじゃ。

たくさんあるものの中から、傾向が似ていたり共通点があったりするものを三つ並べると、読者というものはどうしても一種の〝誘導〟を受けがちだ。上の3首には確かに高齢者の実感がにじんでいるが、ほかに若い人の力作だってあるのだ(下手だが)。

マスコミには優れた人材が少なくないが、中には治五郎のように〝誘導〟したがる不逞の輩もいるから、十分に気をつけましょうという話でした。

ふてい【不逞】〔体制側から見て〕慣行を無視したりして、けしからぬ▵こと(様子)。「―のやから」

う~む、〔体制側から見て〕と来たか。どうも新解さんという人(辞書)は、どちらかといえば「反体制派」らしい。