「大戸屋」の沿革と「夏至」をめぐって

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<1年というものを区分する境目が幾つかあって、それには「夏至」と「冬至」も含まれる。夏至を過ぎると1日ごとに夜が長くなり、冬至を過ぎると1日ごとに日が長くなるが、ワシは夏至から冬至にかけて活力が衰え、冬至を過ぎると回復に向かうようだ。>

 この文は何かというと、2017年10月25日に書いた当ブログの一節だ。その日に何があったかと言えば、何もない。過去の記事中、夏至という言葉をどこかに書いたはずだ、と思って「夏至」で検索すると「その言葉が出てくる記事は17年10月25日付です」と教えてもらえるわけだ。この検索機能によって、われわれ高齢者は失われた記憶を辛うじて復元することが可能になる。ありがたいことである。

その記事によると、治五郎の活力が1年のピークを迎えるのが夏至である。あとは冬至まで下降の一途だ(今も異論はない)。そして今年の夏至は、今日(6月22日)だそうだ。

話は変わるが、「大戸屋」という定食屋チェーンがある。今では全国どころか海外にも多くの店舗を構えているが、1950年代後半に池袋東口で創業した当時は写真のように、一杯飲み屋に毛の生えたようなものだったようだ。治五郎らが苦学生時代を送った70年代前半には一階と二階があって、少し懐に余裕がある時は、日本史を専攻する仲間同士でよく二階に上がり、焼肉定食だか生姜焼き定食だかを食ったものだ。

大戸屋は、往年の「とにかく安い!」という希少度が低下したうえ、最近は愚かな若者らの〝アルバイト・テロ〟とSNSによる〝拡散〟でピンチに陥っていると聞く。

そこで「夏至」と「大戸屋」に何の繋がりがあるかと言うに、まったく何もない。

ただ、今年は夏至の晩に池袋東口で何かの会合が予定されているという情報がインプットされていて、今日になったら「あっ、それは大学時代の同窓会だ!」と気がついた。ふー、危ないところだった。「必ず行く」と言っといて行かなかったら、また「治五郎急死説」が浮上するところだ。おっと、そろそろ池袋に向かわにゃ。