どうしても興味の湧かない競技

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 とても好きなのは大相撲、そこそこ好きなのがサッカー。別に熱心ではないが、比較的よく見るのがプロ野球&甲子園。

女子のなら好んで見るが、男子のはあまり見たくないという競技もある。体操、水泳、バレー、陸上競技、それから冬場だとカーリングね。気のせいか、これらについては観戦の動機に何か不純なものも少し感じられる。(気のせいではあるまい)

 ぜんぜん見たいと思わず、BS中継が始まろうものならチャンネルを替えてしまうのがラグビー(写真左)とバスケットボール(同右)だ。アメリカンフットボールなどは、もってのほか! なぜなんでしょうね、これは。

つらつら思うに、

つらつら 問題となる事柄について、見過ごしてきた点はないか、一面的な見方をしてきたのではないかなどと、改めて広い視野に立って考えを深める様子。

古いタイプの日本人である治五郎にとって、これらのスポーツは馴染みがないばかりでなく、ひとことで言えば「美しくない」のだと思う。

有無を言わさず〔=承知でも不承知でも、本人の意向に関係無く〕体格と体力で相手をやっつける。どこか「アメリカ的」ではないか? 

米国・NBAの試合なんかで身長2メートル、体重100キロの巨漢にダンクシュートを強行されたんじゃ、170センチ台の日本男児には為すすべもない。バスケは、どうしても日本人向きではないのとちゃいまっか? 3~4片の刺身をワサビ醤油でいただく民族と、自分の顔の半分もあるハンバーガーをペロリと平らげる民族の違いだ。

と思っていたら、富山県育ちの八村塁という青年が現れて大人気。テレビ各局は今秋以降、新たに〝塁番〟の記者やカメラマンを常駐させることになるだろう。試合中継を見たいような、見たくないような・・・

あまり突き詰めると「日米安全保障条約」にまで話が及びかねず、それは今回のテーマではないからやめておくが、上記の諸競技がサッカー(日本以外では大体「フットボール」)に比べ、地球規模の普及が見られないのは、アメリカ的であるか否かの違いによるのではないか。

ちなみにモンゴルでは、なぜかバスケットボールの人気が高い。あんなに広い草原だらけなんだからサッカーに向いていると思うんだjが、首都ウランバートルでは小さな公園や空き地で誰でもバスケットボールが出来るようになっている。

横綱鶴竜なんかはNBAの解説が出来るほどの「通」らしい。これまた不思議な「地球のスポーツ事情」である。