文在寅と習近平を「読む」

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新解さんで「読む」の項を読むと、意味が㊀から㊅まである。㊀と㊂を挙げよう。

㊀書かれている文字の音を声に出す。「朗朗と― / 経をー」

㊂現われている事柄から深い意味を察知したり 将来の動きを推測したりする。「相手の心をー/ 作戦を読まれる / 票をー / 鼻毛をー〔=自分にほれている男の心を見すかして手玉に取る〕

鼻毛うんぬんは新鮮だが、タイトルの「読む」は㊂ではなく㊀の意味。韓・中の国際戦略を分析しようなどという魂胆を治五郎は持っていないので、深読みしないように。

文在寅=写真左=といえば韓国の大統領であり、習近平=写真右=といえば中国の国家主席であることは、日本では常識とされている。しかし漢字の読みはどうか?

新橋駅前へ行って100人の「街の人」に聞いてみよう。

文在寅については82人が「ムン・ジェイン」と読んだが、習近平については「シー・ジンピン」と読めたのは4人で、93人が「シュウ・キンペイ」と答えた。残る3人は「わからない・どちらでもない」(架空アンケートだから、数字はいい加減だよ)

ここで日本人は、少し立ち止まって考えなくてはいけないと思う。どうして、南北を問わず朝鮮半島の固有名詞(人名・地名など)は現地読みで覚えられるのに、中国のそれは覚えられないのか?

朴槿恵はパク・クネであり、金正恩キム・ジョンウンだ。珍島(チンド)だって済州(チェジュ)島だって読める。しかし、たとえば胡錦濤をどう読むのか、そもそも毛沢東周恩来はどうだったのか? 分からなくなってくるではないか。

最近の新聞では「習近平」に毎回、うるさいくらい「シージンピン」とルビが振ってある。が、テレビが追随しないせいか一向に定着しない。先日は、ある討論番組で誰かが「シーさんは」と言ったら、周りが一瞬キョトンとしていた。

ジェインは英語の「Jane」だから(?)覚えやすく、ジンピンは漢字で書くと「人品」を連想するからシックリ来ない。と、そういう問題でもないような気がする。

中国語も韓国(朝鮮)語も漢字で表記できる点は共通しているが、後者ではハングル文字の方が今は一般的なので、漢字なら意味が分かるがハングル文字を大半が読めない日本人は、中国語を日本式の音読みで済ませ、韓国(朝鮮)語は現地読みを耳で覚える方が手っ取り早いという、歴史的な背景があるのではないか?

治五郎の愚考は今のところ、この辺で行き詰まっている。どなたか親切に、ご教示願えないものだろうか。(そう逃げないでよ)