重い荷物を女に運ばせて平然としている老人

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 みそ、しょうゆ、みりん、料理酒(いずれも徳用の大型ペットボトル)。こういう生活必需品が、無くなる時は一度に無くなるものだ。また、そういう時に限って他の調味料やティッシュ、トイレットペーパーなども底を突く。不思議な現象である。

よんどころない事情で治五郎が現在地に居を定めて以来、何度も経験してきた。

家から100メートル足らずの距離に隅田川=写真左=が流れている。小台橋=同=を渡って荒川区から足立区に入れば、普通に歩ける人なら10分足らずで大型のホームセンター&スーパー=写真右=に着ける。

一品当たりの単価は僅差でも、まとめて買えば隣近所よりはだいぶ安いそうで、妻アルタンは4~5週に一度は買い出しに行く。ワシも同行したことはあるのだが、往復に余計な時間がかかるうえ、あまり荷物運びの役には立たない(つまり、足手まといになるだけ)ということが判明して久しいので、最近はアルタンが一人で行くようになっている。夫としては少なからず心苦しいのだが、如何ともしがたい。

ところが先週の土曜日以来、モンゴルから義妹のバルジンが来日中だ。当ブログ読者なら知っての通り、あの国は6~8月と夏休みが長いので昨夏同様、バルジンはアルバイトと勉強(&観光)を兼ねて姉夫婦の陋屋に滞在している。

ろうおく【陋屋】狭くてむさくるしい家。〔自分の家の謙称としても用いられる〕

「今日は木曜でバイトが休みだから、一緒に買い物に行ってくるね」「ああ、行っといで。ご苦労さま」。治五郎は、いい気なもんである。(だからジゴローなのだが)

2時間半後に二人の女が重い荷物を両手に抱えて帰ってきた。「ただいま」「お~、お疲れさま」。いい気なもんなのである。

しかし、タイトルにある「平然」は本当なのかどうか。心ある読者には、行間を読むというか、もっと深く詮索し吟味していただきたい気もする。