よく「読書の夏」と言うでしょう? 言わないか

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治五郎は10代の頃から、なぜか暑い夏に読書がはかどる傾向があって、影響を受けた海外文学や日本の古典は大体、夏に読んだような記憶がある。

半世紀を経て66歳となった現在も、その傾向は続いているらしい。人は「暇を持て余して一日中、高校野球の中継ばかり見ているんだろう」と言うかもしれない(それも、あながち的外れではない)が、それだけではないのだ。やはり夏は本が読める。

鵜飼哲夫「三つの空白 太宰治の誕生」(白水社)。帯にいわく「桜桃忌70年。空白期を経るたびに脱皮していく作家の姿を、読売新聞名物記者が、新たな視点で捉え直す」。・・・著者はワシの後輩記者で、該博な知識にはかねがね感心していた。飲みながらワシに「太宰作品の明るさ」を熱弁していた姿を懐かしく思い出す。相変わらずの「おしゃべり」な性格が災いしている面はあるが、なかなか読みごたえがあった。

◎小谷みどり「没イチ パートナーを亡くしてからの生き方」(新潮社)・・・わが友みどりちゃんは、15~16歳も年下だが「死生学」研究者の草分け。よりによって彼女が8年前の朝、目覚めたら42歳の夫が急死していた。突然、バツイチならぬ「没イチ」になった当時の惑乱を冷静に顧みた第一章が圧巻。その後「没イチ会」なるものも生まれるが、この人の著作には常に〝明るい諦観〟があって好もしい。

織田作之助短編集「夫婦善哉(めおとぜんざい)」(新潮文庫)・・・新発見の続編などを加えた「決定版」だ。織田作之助(1913~1947)=写真=は、太宰治坂口安吾石川淳らと並んで「無頼派」と呼ばれる作家だが、上記3人の小説に比べると、読み返してもあまり共感できない。ダメ男としてはワシも遜色ないのだが、全編に横溢する大阪弁せいやろか? それとも、主人公のような「女遊び」いうもんをワシが全く知らんからやろか? (そこで笑わんといてや)

「読書で損した」という経験は滅多にないのだが、年を取って難儀になるのは、読んでいる本の最初の方を忘れるという問題だ。(うーん、どこかに伏線が張ってあったんだが・・・)その伏線が思い出せない。読み終えても「忘れた10~20%分、損してるんじゃないか」という印象を免れないのだ。ミステリーなんかは、もうダメですね。