「認知」に関する諸問題と線香花火

f:id:yanakaan:20190823060737p:plain ②f:id:yanakaan:20190823060825j:plain ③f:id:yanakaan:20190823060915j:plain

「この二人(写真①と②)は似てない?」

と、妹Bは長兄に質問するのであった。「いやあ、考えてみたこともないが・・・言われてみれば、確かによく似てるかもなあ」

妹Bというのは、治五郎より11歳下の医者というか医学者。田舎の老父(92)が、いよいよ「認知症」と「認知」される状態になってきたので、世人も知る2017年の「4・10事件」(昨年4月に「1周年企画」の連載あり)で実家を追放された長兄に代わって、たびたび様子を見に帰郷してくれている。

木曜日といえば昨日だったような気がするが、指折り数えると既に3日が過ぎている。それとなく両親の近況を伝えがてら、妹Bが治五郎庵を訪ねてきたので、義妹バルジンを含む4人で夕食(寿司と豚汁)を共にした次第。

認知症の認知」には説明が要る。

にんち【認知】㊀〔嫡出でない子について〕自分が、その子の▵父(母)であることを認める法律上の手続き。「―を受ける」㊁あるものの存在を疑いのない事実と認めること。「敵をーする」㊂〔cognitionの訳〕〔心理学などで〕人や動物が外界の事象に接して感覚器官の働きに経験などの力を加えて知識を得たり 何らかの判断を下したりする心理的な過程。「―心理学・―意味論・―症〔=認知能力の障害〕」

「認知㊀」はこの際、全く関係ない。高齢の父をめぐって「認知㊂」に関する障害が、専門の医療機関によって「認知㊁」されたという問題だ。(認知㊂は妹Bの専門領域の一つだから、非常に興味深い(深刻な)話が続出した。しかし、それをブログで公にするような義理も資格も兄には全然ない。聞きたきゃ陋屋を訪ねなさい)

「少年老いやすく学なりがたし」をもじって言えば、結論は「老人キレやすくボケ避けがたし」ということになろうか。(笑い事ではないんだよ)

 妹Bとの会話で当たり障りのないところを明かせば、冒頭の「①文在寅と②風間杜夫は似てないか」という話くらいになる。(確かに似ている)

「在日モンゴル人姉妹には珍しいはず」と、手土産に線香花火=写真③を携えてきてくれたが、これは考えようによってはなかなか意味と味わいの深いプレゼントだ。もしも打ち上げ花火だったら、手に負えないだろう。とワシは認知㊁した。