起承転結の転

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<〝生前葬〟をやろうと思い立った。1997年、44歳の時。前年の暮れに年賀状を書きながら、だれかれに「本年もよろしく」「今年こそ一献」と毎年、同じ文言を記している自分に嫌気が差したのだ。

 限りある人生。日々の仕事に追われてばかりいると再会したい人と会えずじまいになりかねない。過去の取材で気脈の通じた人、一度ゆっくり話したいと思う相手を招いて一夜、池袋の飲食店を借り切った。記者と親しいという共通項を除けば、参加者の大半は初対面同士だ。

 画家、会社員、大道芸人、写真家、川柳作家、医師、モンゴル人留学生、主婦、公務員……40人近い老若男女が集まった。だれとだれが何を話したかは知る由もないが、異様に盛り上がった。99年の三回忌、2003年の七回忌と不埒な〝法要〟も盛況で、参列者の幅が広がる。「十三回忌はいつ?」「6年後ね」「そんなに待てないぞ」

 人と人をリンクさせられる自分の職業に感謝しながら思った。「一体、この先どうなるんだ?」(顕)>(2007年3月29日付)

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写真は、池袋西口のダイニングバー「アジュール」の高木健一マスター(老けてないが近影らしい)。1982 ~83年、若き治五郎が池袋警察署の記者クラブを塒(ねぐら)にしていた頃は「軽食喫茶」で、他社の記者が変な動き(抜け駆け)をしていないかどうか互いに警戒しつつ、毎日のように呉越同舟でランチを食ったものだ。(いない奴、特にポケベルが鳴って中座した奴が怪しい)

 各社とも個性的というか少し変わった記者が多く、ワシと特にウマが合ったA新聞の八板(やいた)俊輔という記者などは、のちに早期退職して郷里の種子島(鹿児島県西之表市)に帰ったと聞いたが、いつの間にか西之表市長(現職)になっていた。

ワシが〝生前葬〟を決行した会場がこの「アジュール」で、97年当時は軽食喫茶からダイニングバーへの過渡期にあった。今は池袋で一、二を争う「オシャレな飲食店」として若者の間でも知られる存在になった(オイほんとか?)。

 「一体、この先どうなるんだ?」と12年前にワシが書き残した22年前の予感は、ほぼ的中する。人間にはそれぞれ、いろ~んなことが起こりうるのだ。