「大歩危小歩危の時代」は加速している

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 大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)? うーん、なんだか知ってる地名だぞ。行ったこともあるような気がする。いつ、何の用でだったか? はっきり思い出せない。

いわゆる認知症の初期から中期にかけて、こういう症状が現れる。

いろいろ調べてみると、徳島県の〝秘境〟祖谷(いや)渓を「旅」面の取材で訪れた時のことだった。「かづら橋」に絡めて何か書きたいことがあって、渡りたくない(怖い)吊り橋を渡ったついでに、少し離れた大歩危=写真=へも足を運んだのだと思う。

このように、出張をすると予定を延期してブラブラする癖が治五郎には昔からあった。当時は「社の経費で」と後ろ指を指されたようだが、あとで必ず何かの役には立つ。紙面にとってプラスだという自負があったから、いまだに後ろめたさは感じない。

 それはさておき「大ボケ小ボケの時代」である。 92歳の父親がいよいよ「大歩危」の境地に至って今週、地元の老人ホームに入所したそうなのだが、彼は配偶者=母(91)がいないと「自活能力なし」と判定され、夫婦で一緒に入所(別室)したという。

妹Bが入所手続きなどで奔走してくれたのだが、彼女は東京で働き盛りの勤務医・医学者だから相当に忙しい。両親の家はワシに言わせれば〝立派な屋敷〟だが、ほっとけば空き家になり廃屋になる。どうすれば保持できるか? 「あ、暇を持て余している『お兄ちゃん』がいる!」と、こういう話になるのは当然の成り行きというものだ。

ところが、長男であるワシ(治五郎)は2年半前、例の4・10事件で実家への出入り禁止を厳命された「勘当の身」なのである。どうにも身動きが取れないではないか。困り果てた妹Bからの電話にも、そう答えるしかなかったわけだ。

「ふーん、治五郎も意外に苦労が多いんだね」と人は言うかもしれないが、いえいえどうして、もっと大変な経験をした人をワシは幾らも知っている。事件を起こして「犯罪者」にならないまま今日に至っている高齢者は、ラッキーな部類なのではないか。

 父が「大歩危」ならワシゃ「小歩危」。とっくに進行がスタートしている。しかも、小歩危大歩危に追いつき、やがてはきっと追い越す。いつ、その時期が来るだろうか。( そろそろ来てるんじゃありませんか?)

政府が「人生100年」とか「一億総活躍」とか、聞こえのいい言葉を振り回しているうちに日本全国、津々浦々で「大歩危小歩危の時代」は着実かつ急速に進行している。80代の親と50代の子の間に生じる軋轢が社会問題になりつつあるようだが、90代の親と60代の子の場合は、そんな生易しい問題ではない。切実度が違うのだ。

その渦中にワシもいよいよ身を置くようになったのだ、と実感せざるを得ない。

というわけで、脳天気な当ブログも今後は大幅な〝間引き運転〟を余儀なくされそうな雲行きだ。めったに更新されなくなっても、読者諸賢はとされよ。

【脳天気】〔関東・中部方言〕常識はずれで、軽薄な▵様子(人)。=もと、「能天気・能転気」と書いた。

【諒】相手の事情が どんなであるかを分かること。「―とする〔=事情やむを得ないものとして受け入れる〕」

折も折、愛用のPC(パソ子)にも認知障害の兆しがあり、明日にも突然「私は誰?」状態になる虞なしとしない。修理に出したり新調したりするのは「面倒でたまらん。いっそキッパリ捨てる!」と、キレるのが小歩危世代の特徴なのだ。

そういう次第なので近々、ブログが更新されずじまいになる可能性が大いにありそうだけれど、それもまた諒としていただきたいのであります。