「得」をしたくないという「欲」

f:id:yanakaan:20190917075714j:plain

それは矛盾している! と、マトモな人なら思うのではないだろうか。

【矛盾】二つのものが、論理的に整合しないこと。「―が解消される / ―に満ちた / ―を▵おかす(はらむ・あばき出す・来す) / ーした発言 / ー撞着・自己ー」

得と欲は、ワンセットで「欲得」というように、得をしたいのが欲であり、相反する概念ではない。

しかし治五郎は、昔から「得」をしたくないと望む人間だった。特に「労せずして(知恵や運で)金=写真=を稼ぐ」ということに対する嫌悪感が著しい。投資とか、株を買うとかいう行為は死んでもしたくないのだ。蕪なら大好きだが。(ちなみに、あの野菜は煮過ぎないこと)

かつて「バブル」と呼ばれる時代があったが当時、ワシは1円の得もしなかった。が、バブルの崩壊で損をしたという覚えもない。もともと欲がないのだ。(会社の金で、行きたくもなかったモンゴルという国へ初めて行けたことが、バブル時代の得と言えば得かな)

宝くじを買ったことがない。賭け事なんてアンタ、公営ギャンブルや賭けマージャンは愚か、パチンコさえ学生時代に1~2回行った程度だ。金がないという状態に慣れ親しんできた、と言えば言える。グルメという言葉が嫌いで「ご馳走=うまい物の妙諦は、一流店に出かけるより腹を減らしておくこと」と確信して久しい。

みょうてい【妙諦】そのものの存在理由として高く評価できるよさ。みょうたい。「政治のー(〔=神髄〕」

老後に備えた貯蓄などには考えが及ばず、離婚に際してどのくらいの出費を要するかといった実社会の〝損得勘定〟が出来ない男なので、他人の目には「治五郎は、ずいぶん損をしている!」と映るだろうが、それはワシの知ったことではない。

しかし、よ~く考えると「得をしたくない」という生き方もまた、見方を変えれば一種の「欲」に支配されていると言えるのではないか。これを「矛盾」と一蹴することはできないだろう。う~む、「欲」を超えることは難しい!