妄想と美化による「ブログ読者」のイメージ

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しようもないブログを書き続けていて、ふと感じる「視線」がある。

治五郎は本名を隠していないし、プロフィールやメールアドレスも公開していて「文句や苦情があれば直接、言ってこい!」というスタンスなのだが、そんな相手が(いることはいるけれども)非常~に少ないのだ。みんな物陰から(たとえば電信柱の陰に隠れて、そ~っと見ている感じ。

そっと ㊀人に気付かれないようにひそかに事をする様子。「後ろからー忍び寄る / 裏口からー▵出て行く(見送る) / あたりをーうかがう」㊁そのものをいたわるように、注意深く扱う様子。「表面をーなでる / ー抱きしめる / ー見守る / しばらくーしておいた方がいい」(以下略)

 「そっと見守る」という視線の本質を追究すると、あの漫画「巨人の星」に於いて、父・星一徹の過激なパワハラ(?)に耐えた飛雄馬の姿を柱の陰から見つめる姉・明子=上掲=の心境に思い至るだろう。

年齢・性別を問わず、治五郎がブログ読者の姿勢に感じるのは、この視線だ。

「きょう死ぬとかあす死ぬとか、そんなことばかり言いながら治五郎は一体、いつ、どう死ねば気が済むというの?」

う~。ね、姉ちゃん! (残念ながら治五郎に姉はいない)