ドラマ「深夜食堂」と昨今の日韓問題

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困ったな。そんな難しい問題を治五郎に論じさせようとおっしゃるか。(誰もおっしゃってないよ)

まあ、ご指名なので(指名されてないってば)僭越ながら、ひとこと申し上げよう。

 まず、GSOMIA をめぐる日韓のゴタゴタに関しては、清水の次郎長一家を引き合いに出せば分かりやすいと思う。次郎長という大親分(アメリカ)には、大政(日本)小政(韓国)という忠実な部下がいるのだが、この二人が喧嘩を始めた。一家ファースト主義の次郎長は、しばらく静観したが埒があかないので、森の石松その他の手下を総動員して小政に脅しをかける。「明日からも一家に残れる思うとるんか、おんどりゃー!」(言葉遣いは少し違っているかもしれない)

話は(少し)変わるが、治五郎が(少し)目をかけてきた日本のドラマに「深夜食堂」=写真左=がある。何か訳ありのマスター(小林薫)が、いろんな客の人生をカウンターの中から見つめるというストーリー。感動的とまではいかないだろうが、毎回(少し)ホロッとさせられる 。「そういうことって、あるよなあ」と共感できるのだ。

韓国で作られた「深夜食堂 from ソウル」というドラマ=写真右=があって、ワシゃ笑いながら感心してしまった。翻案? 違う。換骨奪胎? 違う。敷き写し? それも違う。「和魂才」ならぬ「和魂才」なのかというと、それほどのものでもなさそう。同じドラマを、韓国人のスタッフと俳優らでそっくり作り直したものなのだ。が、これが結構イケてる。

以前、日本で視聴率を稼いだ「家政婦のミタ」の韓国版「怪しい家政婦」を見て、あきれながらも(少し)感心したのを思い出す。

日本と韓国。どっちが大政でどっちが小政なのかワシは知らんし、どっちでもいいんだけれど、互いの同じところと違うところを冷静に見つめ合いたいものです。(どうせ親分は次郎長なんじゃけんのう)