「焼き魚」と相撲の「出し投げ」の共通点は何か

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う~ん、今回の設問は結構、難しいかもしれないぞ。(しかしアンタも、よくこんなブログを読んでる暇があるなあ)

写真左は、ぶりの照り焼き。これのどこが一番うまいかというと、私見だが「皮と身の境目」である。「あ、私は魚の皮は苦手なので食べずに捨てます」という人は、話題が尽きるから近所の散歩でもしてきて下さい。

ブリだろうがサケだろうが、焼き魚というものから皮を除去すると価値は半減する。といって、皮だけ食って身を食わないと満足は出来ない。醍醐味は皮と身の間に在るのだけれど、そこに具体的な何が存在するかと言えば、何も無い。その「無い部分」が「うまい」のだ。内田百閒先生の<レンコンの味は『穴』にある>に似ている。

写真右は、相撲の出し投げ(たぶん、朝乃山の上手出し投げ)。例によって、新解さんに相談してみよう。

【出し投げ】〔すもうで〕相手が▵押そう(寄ろう)とした時、自分のからだを開き、▵上手まわし(下手まわし)をつかんで 相手を前のめりにさせて 倒すわざ。それぞれ上手出し投げ・下手出し投げと言う。

 対戦相手からすれば一瞬、目の前の〝目標物〟が消えると同時に投げをくらう。「居なくなる妙技」なのだ。立ち合いの変化などと違って、卑怯な感じのない真っ当な高等技術と言えるだろう。「うまい」のだ。(ちなみに相撲の基礎用語として、上手・下手は「じょうず・へた」ではなく「うわて・したて」と読んで下さい)

さて、焼き魚と出し投げに共通する「うまさ」を突き詰めると「虚実、皮膜の間」という言葉に突き当たった。新解さんで「皮膜」を引いてみる。

ひまく【皮膜】㊀皮膚と、肉をおおう粘膜。「虚実、―の間〔=事実に即き過ぎてもいけないし、虚構が勝ってもいけない芸術作品のデリケートさ〕」㊁皮のような膜。

焼き魚と出し投げには、かくもデリケートな共通点があったのだ。(笑うな)

「㊁皮のような膜」という説明が(「新明解」にしては)やや明解さを欠くが。