テレビが伝える「街の声」の信用度

 

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いや「疑ってかかれ」などと言うつもりは毛頭ない。ごくまれに、捏造まがいの事件が発覚して首謀ディレクターが懲戒免職になったり、社長が交代したりするケースはあるようだが、TV業界がそれほど堕落しているとは決して思わない者であります。

テレビ局の実情をワシはよく知らないが、新聞社にいたから「街頭インタビュー」をした経験は何度もある。「え、読売新聞の取材? 俺はそんな悪いことしてないよ!」と小走りで逃げ去った若者もいた。(いま思えば下線部分、特に太字部分が気になる。もしも追跡していたら、何か特ダネにつながったかもしれない)

「今回の安倍改造内閣について、どう思いますか?」――在京マスコミは、なぜか「サラリーマンの声が聞ける聖地」として有名になった新橋駅前=写真=に押しかける。

こんな夫婦がいたとしよう。(また空想癖が始まったぞ)

夫は目立ちたがり屋で、会社の宴会では(誰も聞いてないのに)カラオケのマイクを離さないタイプ。妻は、かつて某テレビ局のAD(アシスタントディレクター)をしていたが、過酷な労働現場に嫌気が差して1年半で退職した。

夫「今日は新橋駅前でテレビの取材を受けたよ。あ、20分後には映るぞ。録画の用意は出来てるか?」妻「バカねえ、取材されたからってオンエアされるわけないじゃないの」。夫には申し訳ないが、これは断然、妻の方が正しい(なにしろ元ADだ)。

10人の通行人に片っ端から声を掛けたとしましょう。3人は手を振って逃げる。答えてくれた7人中、泥酔者や徘徊中の〝認知〟関係は除くとして、残る5人の中にも「差別語」を連発したりする人もいて、放送で使えそうなのは10分の1。

番組上、安倍支持派とアンチ自民系のバランスを取るためには、少なくとも40~50人に取材しなければなるまい。暑い日が続くが、テレビ局のスタッフ(特にADさん)には頑張ってもらいたい。

 

「はみだし者」のよってきたるところ

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自分史を出版するなんてことは考えてもみないが、他人様とはだいぶ変わった経歴を持っているようなので(特に後半生)、記憶が完全に消滅する前にブログで小出しにしておくことは必ずしも無意味ではないと思う。

1950年代後半、青森県内の幼稚園に(短期間だが)通った時期がある。先生が園児たちに「お昼の時間ですよ~。その前にすることは?」(実際は激しい訛りがある)と問いかける。「は~い、手を洗うことで~す」(これも訛ってる)と叫んで園児たちが、先を争って手洗い場に殺到する。ワシも4歳か5歳だったが、群れから離れて(浅ましい光景だなあ)と思った=写真は現代の、どこかの幼稚園のよい子たち=。だんだん幼稚園に行かない日が多くなり、やめてしまった。登園拒否の先覚者と言える。

少年時代は概して「よい子」「おりこうさん」と見られたようだが、それは世を忍ぶ仮の姿。アマノジャクとかヘソ曲り・ツムジ曲りとまではいかないが、みんなが右へ行くなら自分だけは左へ行きたいと思う性格で、今じゃ立派な?偏屈ジジイの名をほしいままにするに至った。ことわざにいわく「4つ子の魂64まで」(少し違うか)。

 

 

 

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自分史を書く気はないかって? ないね

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自分の〝歴史〟なんて治五郎の場合、当ブログのプロフィール欄に記した100字ちょっとで十分。全国津々浦々で、自分史をめぐる以下のような家族トラブルが発生しているのではないだろうか。ワシには経験がなくても、妙~に生々しく想像されるのだ。

おじいさんが、自分史=写真は範例=を自費出版したいと言い出す。老妻も中年の息子夫婦も高校生の孫も、みんなが反対する。「一体いくらかかると思ってるの?」と妻。「誰か読む人がいるとでも?」と息子。嫁は、心の中で(うちはローンも払いきれてないのに、おじいさんの葬式代が払えなくなるじゃない)。孫は孫で(そんな金があるんなら毎月、小遣いをくれてもよさそうなもんだけど)

しかし、おじいさんも年が年だから頑迷固陋である。「ワシゃもうオエン。長くはなかろう。財産なんぞ1円も残らんでええが(ここで一同、キッという目で老人を見る)、生涯に1冊ぐらい本を出すのをワシは昔からボッケー楽しみにしとったんじゃ」(はしなくもオエンとボッケーで判明した。この老人は岡山県人なのである)

もう長くないと彼は思っているが、そういう人に限ってあと10年も20年も生きることになるのが世の習い。まこと、人間社会というやつはままならぬ。

 

熱中症もダメだが、認知症はもっとダメだ

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誤解しないように。これらの症状に陥った人のことをダメだと言っているのではなく、コトバの問題なのだ。

「熱中」することや「認知」することを病気扱いするのは変だと思いませんか? えっ、どっちも変じゃない? 用法が違うだけだろうって? おい、表へ出ろ! 

「ご老体、落ち着け!」と後ろから羽交い絞めにされそうだが、日ごろは穏やかな治五郎も、こういう話題になると頭に血が上ることがある。(皆さん要注意)

それにしても認知症(患者のことじゃないってば)だけは許せん! 正しくは「認知障害」ではないのか。「認知+症」だなんて、少し前までの「痴呆症」や「ボケ老人」が人権上マズイということになって急に作られた新語なんだろう。

しかし、ワシ自身が直面しつつある(と自覚し始めている)のは「認知」ではなく「痴呆」の世界。いくら言い方だけ変えてみたって、ボケはボケなのよ。

ちなみに写真は木瓜(ぼけ)の花。なかなか美しい花じゃありませんか(実物を何度となく見たことがあるような気もするし、この写真で初めて知ったような気もする)。木瓜には名前からして親近感を覚えずにいられない。

 

 

 

熱中症とニッポンの不思議

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中高年の人にお尋ねしたいが「熱中症」なんてもの、昔はありましたか? 「暑気当たり」とは言ったし、ちょっと言葉を工夫する母親なんか「うちの子は最近、鉄腕アトム熱中症でして」などと言ったかもしれないが、熱中症という言葉がこんなに幅を利かせるようになるとは思わなんだ。

連日、テレビが「こまめに水分を補給して熱中症対策を」「室内でも適度の冷房を忘れないで」と呼び掛けている。少しヘンではないだろうか。

地球温暖化は昨日や今日の話ではなく、日本ではクソ熱い日が大昔からあった。冷房どころか扇風機もない時代が何千年も続いてきたはずだが、暑さで毎日たくさんの人が死ぬようになったのは、一体なぜなのか?

国を挙げて水分補給、水分補給と言うもんだから、見なさい。今や日本全国、どこも飲料水の自動販売機=写真=だらけだ(しかも利用者の多いこと)。ニッポンよりも暑い国はたくさんあるが、こんな国、ほかにないよ。

夏の炎天下を毎日テクテクテクテク、4里も5里も歩き続けた「奥の細道」の芭蕉翁は一度も熱中症になった形跡がない。帽子をかぶらず200メートル先のスーパーに行く途中で一瞬、足元がフラつき「あ、来たかな?」と脅えた治五郎などは「日本人もいよいよ体がダメになってきたなあ」と実感させられるわけである。

読んだか読んでないかを忘れる

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この傾向は50歳代から自覚されるようになった。むかし読んだことを忘れて、同じ本を買って帰って後悔する。しかも「むかし」が20年も30年も前ではなく、ほんの1~2年前ということも珍しくなくなってきた。

還暦前後から着々と「断・捨・離」を推進し続けているので、「蔵書」と呼べるものは今や手元にほとんどない。万巻の書物を所有したところで墓場まで持ち込めるわけじゃなし、そもそも治五郎には入るべき墓もなければ入る気もない。

モノとしての本は邪魔だが、日がな一日、テレビやパソコンとばかり向き合っていると人間はバカになると思えてならない世代。幸い、歩2~3分の距離に尾久図書館=写真=があって、読みたい本は荒川区内の全図書館のどこかに1冊でもあれば、ネット予約で翌日には手に入る。

〝毎日が日曜日〟状態にすっかり慣れたワシにとって、1週間の始まりと終わりの境目は尾久図書館の休館日(=月曜日)となっている。

そうだ、明日は城山三郎の『毎日が日曜日』でも借りて来よう。話題を呼んだ1970年代に読んだような気もするし、全く読んでないような気もする。どっちだったかは読んでみるまで分からず、読み終わっても思い出せないかもしれないが、そういう事態は人生の「損」ではなく「得」だと考えた方が利口だと思うのである。

「厳重な抗議」はどのように行われるのだろうか?

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A(間接抗議) 「あのう……北京さんですか? こちら日本政府ですが、北朝鮮がまたミサイルを発射しました。今度は真夜中で、飛距離も伸びたらしい。直接ねじ込みたいところですが、そうもいかないので、また電話しました。日本国は世界と歩調を合わせ厳重に抗議している、と伝えて下さい。北京さんの経済制裁が甘いという声もありますが、今夜のところは触れません。ただ、日本は非常に怒っていると伝えて下さい。厳重に抗議しないと国民が納得せず、時期が時期だけに今の政権もいよいよダメになる。いいですか? こちらからは厳重な抗議を確かに伝えましたよ。後はよろしくお願いしますね」

B(直接抗議) 「やい、北の高官! お前の序列はナンバー2か、ナンバー3か。なに、ナンバー23? えらい格下やな。まあ、ええわい。しかし仏の顔も三度、言うやろ。今回で何度目や思うてんねん。どついたるで、ほんま。こっちかてミサイルを見舞いたいところやが、ま、憲法やら何やらの関係でそれは出来へん。けど、ワシらの親分は外ならぬアメリカ様やさかいな。特に今の大統領が大統領や、平壌に原爆落とすぐらい朝飯前やで。アメリカ様は昔、広島と長崎に落としたことかて済まなんだとは思うてへんのや。全体主義国家は撲滅せなあかん。覚悟して待っとれや。ほな」

抗議の仕方はAでもBでもないと思いたいが、それにしても剣呑な時代になった。(しかしBはなぜ大阪弁なんだろう)

日本がずっと「厳重抗議」してきたはずの「拉致問題」はどこへ行ってしまったのか? 世界の注目が北の核・ミサイルにばかり集中する陰で、例えば横田めぐみさんの年老いた両親がどんな気持ちでいるのか、政府かて少しは「忖度」せなあかんのとちゃうか? (治五郎は大阪とは縁もゆかりもないんやけど、どうも言葉が伝染する傾向が昔からありまんね。難儀やなあ)

 

6個で108円(税込み)のシュークリーム

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1個だと何円か? 少年時代なら暗算で即答できたんだが、半世紀も経った今じゃもう脳がアレだから携帯の電卓機能を使う。「1個18円」と出た。うむ、安い!

一貫してノンベエの治五郎は甘いものが苦手で、落語と違って「まんじゅう怖い」は本心と言える。例外がシュークリームとアイスクリームで、コンビニなどで見かけると前後の見境もなく手を伸ばしてしまう(万引きするという意味ではない)。

本日も100円ローソンで6個入り「自家製カスタードクリーム」が目にとまったので、つい理性を失ってしまった(ちゃんとレジでお金を払いました)。

製造者は栄屋乳業株式会社(愛知県岡崎市)。容器に「クリーム充填の際、シュー皮の一部が中に入る場合があります。品質には問題ありませんので、安心してお召し上がりください」と書いてある。シュー皮という言葉があったのか。

味はどうかというに、もう少~しだけ甘さを抑えた方がいいような気もするが、なにしろ1個18円だから贅沢は言うまい。昭和30年代を思い出させる懐かしい味である。栄屋乳業さん、おいしゅうございました。

 

 

 

 

何十年ぶりかで見た変死体

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治五郎の隠居所は荒川区の端っこにあって、歩いて1分足らずで隅田川。橋を渡れば足立区に入る。さらに何分か歩けば荒川に架かる扇大橋があって、広い河川敷がある=写真=。

早朝に散歩するような健康志向とは縁のない治五郎だが、今朝はどういう風の吹き回しか6時台だというのに初めて荒川を越えてみた(泳いだのではなく扇大橋を渡って)。5月末から働いてワシを養わなければならない役回りになっている妻のアルタン(モンゴル国籍)も一緒だ。(ちなみに、そういう事情があるのでワシはジゴロー)

向こう岸に着くと警察官が20~30人もウロウロしていて、橋の下を見ると中年らしい男が倒れている。もう生きていないことは遠目にも雰囲気で分かる。検死が始まるところで、青いビニールシートもまだ運ばれてきていないが、橋上のお巡りさん(いわゆる「所轄」の署員)がシッシッという目で見るので立ち去らざるを得ない。

ワシも元新聞記者だから、若い頃はサツ回りも経験した。変死体が発見されれば真っ先に現場に駆け付ける。死体といえば殺人の被害者か事故の犠牲者のことで、フツーに病気や老衰で死んだ人の数とは桁が違う(自慢するな)。

立ち去りはしても、ほかに行く所はないからUターンして帰路につく。今度は、橋上にいる鑑識課員が犬(もちろんプードルやチワワではなくシェパード)に履物のにおいを嗅がせている。犬が「はい、分かりました」と納得した顔で歩き出す。一瞬、ワシらの方に直進して来そうなので少し焦った。(来るな、シッシッ)

夕方まで気をつけてTVのニュースを見たが、何も報じられない。事件性が全くないとは思えないのでとても気になるが、警察に「今朝のアレはどうなりましたか?」と電話したりしたら、またシェパードが来るかもしれない。

 

 

「相撲ロス」は隔世遺伝らしい

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相撲ファンは、本場所が終わって1週間ぐらいは「相撲ロス」に苦しめられる。この言葉はまだ辞書に載っていないが、意味は分かるはず。毎日が物足りなくて手持ち無沙汰で、なんともやりきれないのだ。一種の禁断症状。ネットで「相撲ロス」を検索すれば、同じ症候群に陥っている人が多くて「あ、やっぱりなあ」と思う。

ワシ(治五郎)の祖父は権三郎(ごんざぶろう=本名)といって、同居していたわけでもなくワシが小学生の時に60代で他界したから思い出は少ないが、新聞の取り組み表と首っ引きでラジオ中継(まだテレビはない!)に没頭する姿はよく覚えている。

栃若時代=写真は右が栃錦、左が若乃花(初代)=は権三郎の晩年の話で、ワシも知らない戦前の双葉山(あるいはもっと前の力士)に熱狂した世代なんだろう。権三郎から見ると息子を飛び越して孫が、相撲好きの血を継いだようだ。

こういう「隔世遺伝」は、ほかにもいろんな場面で自覚されることがある。ま、続きはまた明日以降。