自分が美人だと気づいていない美人はいないか?

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即答します。そういう人は、いません。

昔、テレビが普及する前までは、全国各地に「北千住小町」とか「南三陸小町」とか呼ばれる地域限定の美人がいて、争奪戦に敗れた男たちを泣かせた末に豪農のドラ息子に嫁ぎ、平凡な家庭生活を送ったり不幸のどん底に落ちたりしたものだ(と聞く)。

「こまち」というと今は秋田新幹線か秋田産米の銘柄のことだが、元祖は平安歌人小野小町=写真=だ。楊貴妃クレオパトラ同様、実際はどんな顔をしていたのかは誰も知らない。が、小野小町の場合は「花の色は移りにけりな」と嘆いてみせたところを見ると、自分が滅多にいない美人だということは十二分に認識していただろう。

平安時代でさえそうなのだから、平成時代においては美人がヒッソリと生きることなど不可能だ。自信と上昇志向のある美人はミス〇〇コンテストや各種オーディションに出るし、その気がなくても渋谷や青山を歩けば芸能プロのスカウトが群がってくる。

朝の連ドラにでも出演が決まれば、即「スター誕生」となる。かくて人気女優が毎年、確実に量産される仕組みになっている。顔と名前を覚えきれる数ではない。不思議なことに、そうして登場する新人女優に〝大根役者〟は少なく、概して演技がうまい。その辺はどうなっているのだろうか。

「自分の美貌に気づいていない女」がいないものか? という願望を抱く男たちは古来、少なくなかった(と推察される)。負け犬の遠吠えに聞こえないこともない。

ところが、これまた不思議なことに、恋人の二股交際や夫の不倫に悩まされる女性というのは大体が美人に属していて、そうでない方に分類される女性は、この種のトラブルとは無縁なようだ。その辺は一体どうなっているのだろうか?

話が佳境に入ってきたが今日は仕事の予定があるので、続きはまた後日。