〝快適中毒〟の行き着く先は

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治五郎が最初に言い出したと主張する自信はないが、「健康病」という言葉がある。人生で何よりも大事なのは「健康」だ、という信念が高じた人が発症する。

健康雑誌サプリメントを買い漁り、健康にいいと聞けば試さずにいられない。健康に悪いと言われる行為を極端に恐れる。道路の向こうでタバコを吸っている人を見ても、受動喫煙の害に脅える(そのくせ大通りの排気ガスは気にならなかったりする)。

現代病・文明病の一種と考えられるが、同系列の症候群に「快適中毒」があると思う。

温水洗浄便座=写真=の普及には目覚ましいものがあるが、生まれた時から家にこれがあると、子供にどういう問題が起きるか。学校などのトイレがシャワー付きでないと、「ウンコが出てこない」という子が「出てくる」のである。

お尻を洗ってくれる便利な装置が出現したが最後、人間は汚い尻を自分の手では拭けなくなる。まして、しゃがんで用を足したり「ボットン便所」に落としたりは出来ない。野グソなんて、もってのほか!

快適さというものには必ず、中毒化して際限もなく増幅する性質があるのだ。覚醒剤に似ていると言っても過言ではない。「快適やめますか? 人間やめますか?」てなもんや三度笠。少し難しい化学用語を用いれば、これを「快適度の不可逆性」と言う。

昔の便所には神様もいたし、お化けも出た。暗い・臭い・汚い。この「3K」が、子供たちに豊かな想像力と感受性を付与してきたのだ。しかし便所がトイレになると、そこは明るくて清潔で芳香が漂う空間と化した。失ったものが大きくないだろうか?

「また、耄碌ジジイがバカなことを」と思ってるでしょう。でもね、今宵に限ってはワシも結構「ウン蓄」を傾けられたような気がしているのですよ。ははは。