「実社会」とは? 「実生活」とは?

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新解さん新解さんって、おぬしは三省堂の回し者か? という声も聞こえだしたが、こっちもそろそろ本腰を入れるにヤブサカではない。

その前に、この辞書の基本ルールに触れておく。「▹」は「以下は( )内に読み替えてもOKですよ」という意味の記号であり、編者の個性あふれる(他の辞書には真似のできない)解釈は [ ] 内に明示されている。例を挙げよう。

【実社会】実際の社会。[ 美化・様式化されたものとは違って、複雑で、虚偽と欺瞞に満ち、毎日が試練の連続であると言える、きびしい社会を指す ]

本当の社会とは虚偽と欺瞞、試練の連続であると言い切る。論文でもエッセーでもない辞書が、そこまで言っていいのかと少し心配になるわけだが、ここまで教えてくれる小型辞書をワシゃ他に知らぬ。痒い所に手が届くのである。(届きすぎの感もある)

【実生活】[ 文学作品など▹の(を通して想像される)美化された生活と違って]  現実の生活。

 現実の生活は小説の世界みたいに美しいものではない! ということを言っている。 

納得しかねる人もいるだろう。が、治五郎に言わせてもらうならば、そんなアナタは実社会や実生活というものを本当は知らずに生きてきたのではありませんか?

新解さんは「美化」という言葉や行為=写真=が、あまり好きではないようにお見受けした。そんなところにもワシは静かな共感を覚える。

誤解しないでほしいが、ワシは最近、近所の歩道上に捨ててあるタバコの吸い殻や空き箱を見ると拾う習慣がある。これは、決して「モク拾い」ではない。空き缶やパンの袋などのゴミも拾って、しかるべき場所まで運んで捨てるようになった。

ささやかではあるが、これも立派な「無償奉仕」のうちだろう。ただ、(なんだか自分らしくないことをしているなあ)という、むず痒さを感じてしまう。新解さんが社会や生活の「美化」に対して素直になれないのは、これと似た心理なのではあるまいか。

おっと、今日は第三土曜日か。最近は、寓居を探り当てる古顔が増えてきた(全員、等し並に齢を重ねている)。今夜のサンド会の話題は「実社会」と「実生活」かな?