「賢人」と「大愚」

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プロローグとして、こういう場面を想像してほしい。

飛行機の中で急病人が出た。スチュワーデス改め客室乗務員(定着していた外来語が日本語に変わった珍しいケース)が、「お客様の中に、お医者さんはいらっしゃいませんか?」と尋ね回る。すぐに手を挙げる人はいないが、旧称スッチーも諦めない。

「あのう・・・」と、さえない初老男が手を挙げた。「ワシゃ岡山の在で医者をやっとる。泌尿器科じゃがのう」「専門は何でもいいんです医者なら。お願いします!」 その後どうなったか、治五郎は知らん。(似た場面を見た経験はあるが)

 

もしも旧称スッチーが「お客様の中に、賢人(けんじん=左の絵は竹林の七賢人=)の方は、いらっしゃいませんか?」と尋ねて回っていたら、どうだろう。窓際で寝ていた紳士が、目を覚ました。「賢人? 私を呼んでいるのか。はい、賢人です」

この大学教授は、政府の諮問機関の一つ「〇〇賢人会議」に向かう途中だった。自分が賢人であると名乗り出た瞬間に、この教授は死にたいくらいの羞恥心に襲われたに違いない。(ところが、そういう人ばかりではないのですね。むしろ、稀)

【賢人】判断力にすぐれ、その行為が道理にかなっている点で世間の人から仰がれる人。

(ワタクシなんかは、その対極に位置するダメな人間です。すんまへんな、堪忍やで)

「識者」とか「有識者」というのも、「賢人」と同じようなもんだろう。

有識者】それぞれの専門についての知識が広い上に経験も深く、大局的な判断が出来る点で社会の指導的地位に在る人。識者。

マスコミが「有識者が一堂に会した」などと言うのは構わないが、「私は有識者の一人です」と言う人がいたらどうだろう。ご尊顔を拝してみたくなるではないか。(ならない、ならない)

 

良寛=右の銅像の爺さん=は、自分のことを「大愚」と号した。

【大愚】どの点から見ても愚か者であること。また、その人。

宮沢賢治は、いつも静かに笑っている「デクノボー」になりたいと言った。

【{木偶}の坊】人の言う通りに動くだけで、自主的には何事をも為(ナ)し得ぬ人。〔侮蔑を含意する〕

アナタは、人から「賢人」や「有識者」と呼ばれたいですか? それとも「大愚」とか「デクノボー」と思われたいですか?

ワシなどは「どっちでもいいや」と思う。(これを「ただのアホ」言いまんね)