地蔵寺の鐘に諸行無常の響きありや

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治五郎も最近は「地元の老人」らしい雰囲気が身についてきたので、たまに道を尋ねられる。いつものようにサンダル履きでペタペタ、フラフラと往来を歩いていたら、喪服姿のお爺さん(同年輩)に呼び止められた。「この辺にお寺はありませんか?」

「どのお寺だろう。この辺は寺が多いんですよ。宝蔵院、華蔵院、大林院・・・」「なんといったかな。ちょっと待って下さいよ(ガサゴソ)・・・あ、地蔵寺だ」「それだと、ちょっと来すぎたね。あのコンビニの前まで戻って、信号を左折すれば50メートルです」「ご親切にどうも」「なんもだ?(北海道風)」

てなもんである。ちょっとした街歩きガイドなら務まりそうだ。

地蔵寺は、江戸・宝暦年間に建立された真言宗の寺。本堂である八角堂=写真左=は、なかなか優美な姿で風情もあるのだが、惜しむらくは隣接する鉄筋コンクリート3階建ての寺務所・会館が興ざめだ。その屋上には鐘楼=写真右=が乗っかっている。

この鐘が機械仕掛けで、朝の6時と夕方の6時に時を告げる。約30秒おきに6回ずつ鳴るのだが、人力ではなく機械で衝かれていることを知らなければ「ゴォ~ン・・・」と結構、味わいがある(知っちゃったから、ダメ)。

しばらく鳴らない時期があって、一部住民の「騒音だ」というクレームに屈したのかと思ったが故障だったらしく、そのうち復活した。機械でも、鳴らないよりはいい。

 

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり(平家物語

七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の、鐘の響きの聞き納め。寂滅為楽と響くなり(曾根崎心中)

日馬富士の暴行事件に多くの相撲人が巻き込まれ、破滅や凋落を繰り広げる有様は、さながら歴史物語や浄瑠璃のようである。そんなニュースに接しながら地蔵寺の鐘の音を聞いていると、そぞろに「諸行無常」「寂滅為楽」の感慨が胸に迫るのであった。

(それにしても、「あの鐘を鳴らすのはあなた」と特定すべき生身の人間が存在しない現実は寂しい)