月天心貧しき町を通りけり(蕪村)

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うーん、さすがは与謝蕪村だ。芭蕉でも一茶でもなく彼でなければ詠めない句だ。(な~んてね。実は、いま確かめるまで蕪村の作かどうか自信がなかったくせに)

雲一つない夜空の真上に月=写真=が出ている。その光の下、黒っぽく横たわっている貧乏くさい集落を私は歩いてきたというのである。明と暗の対比が視覚的ではないか。(な~んてね。貧しき町というのは、治五郎が隠棲する荒川区西尾久のことでは決してないよ。貧しい人も確かに住んでいる事実はワシが保証するが)

菜の花や月は東に日は西に(蕪村)

この俳人は、月が好きなのである。「犬が西向きゃ尾は東」という人口に膾炙した俚諺も、この一句から派生したと言われる。(違うんじゃないかと思うけど)

 それはそうと、今夜(31日)は晴れれば皆既月食が見られるそうだ。

9時に新青森を発った上り新幹線と東京発の下り新幹線は、何時にどこですれ違うか。というような数学の問題がワシには解けたためしがないので、月食が起きる年月日や時間なんてどういう計算をすれば分かるのか、全く見当もつかない。

18世紀に生きた蕪村の頭の中では、月の運行がどのように理解されていたのかが気になる。地球が太陽の周りを回っていて、地球の周りを月が回っていることは知らなかったはずだから、月食の仕組みどころか毎日、上ったり沈んだり満ち欠けを繰り返したりする月というものが不思議でならなかったと思われるが、その疑問を表明したような句は見当たらないようだ。

疑問が深まる一方の治五郎は、明朝(2月1日)の新幹線でちょっと福島県まで出かけてくる予定。(何時に目的地に着くかは、計算しなくても Yahoo! で調べられた)