貧乏話は人を朗らかにする

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「治五郎はんは苦労人には見えまへんな。貧乏したこと、おまへんやろ」

「そりゃアンタみたいに夜逃げしたり、娘を女郎屋に売ったりした経験はないよ」

「人聞きの悪いこと言わんといてや。第一『女郎屋』て古すぎまへんか?」

「それはそうとアンタ、なんで夜逃げしたんだっけ。20年前は北の新地あたりでずいぶん羽振りが良かったじゃないか」

「そこでんねん。ま、聞いとくんなはれ。8年前の夏やったかな・・・」

この大阪商人の苦労話を聞くと疲れるから早々に別れたが、彼が口にした「貧乏体験」なら治五郎にもある。田舎からの仕送りに頼っていた19歳の頃の話だ。

いつもの銭湯に行こうとしたら、金がない。部屋中の小銭をかき集めたら48円あったので、喜んで10分少々の車道沿いにを歩く。赤い手拭いをマフラーにして歩けば、小さな石鹸がカタカタ鳴った。丸っきり名曲「神田川」の世界なのである。

ところが銭湯に着くと「本日より料金改定」の貼り紙が出ている。48円が55円に値上がりしたのだ。それが1973年(昭和48年)6月のことだったと分かるのは、「戦後値段史年表」(朝日文庫)という本のお陰。

年の功を積んだ現在であれば、番台=写真=のオヤジに「つけといて」と言えば済む話だが、なにしろ世間知らずの19歳。7円が足りなかったばかりに10分以上かけて、いま来た道を空しく引き返した。途中で冷たい雨が降り出したのを覚えている。

このように「私にも非常に貧乏な時代があった」と語る時、人はなぜか明るい気持ちになる。今の貧乏も別に苦ではないと感じられるようになるのだ。「そだね~」と、分かってくれる人も少なくないのではないだろうか。