「他人迷惑」について

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昨日のブログで書いたことは、要するに他人様の迷惑を考えていたら登山も冒険も出来ないということに尽き、それは治五郎には向いていないし、それでいいという話だ。

先日も少し書いたが映画評論家の淀川長治さんに取材した時、こう質問した。

「ヨドチョーさんは大体どんな映画でも褒める人だという印象があるんですが、中には嫌いな映画というのもあるんですか?」

「あ、そういう印象がありますかね?」

「正直言って、あります」

「それはね、僕が褒めたい映画の話しかしないから」

「で、嫌いな映画って何ですか?」

即答が返ってきた。それは「失楽園」=写真=だと言う。

「どうして?」

「男女の不倫は仕方のないことで、好きになろうがエッチしようが一緒に死のうと思おうが、それは当事者同士の自由です」

「ふむふむ。それで?」

「あの二人は、死んだ後のことを全く考えていないのよ。二つの死体を誰がどうやって片付けるのか、どういう嫌な思いをするかということを想像できてないんですね」

う~む。ワシはいっぺんに淀川ファンになった。

「ずっと独身の僕は、このホテルに住むことにした時、棺桶がエレベーターに入るかどうか確認したの。枕元に毎晩、葬式代ぐらいは置いて寝てるのよ」

う~む。彼が住んだ高級ホテルが1泊何万円したかは知らないが、晩年の心構えとしては、こういう老人になりたいものである。