権力と謝罪とマスコミ

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日本体操界にあって隠然たる実権を握ってきた塚原光男・千恵子夫妻=写真=が、ここのところ大ピンチに立たされている。「フレー、フレー」という声援は聞かれない(そもそも、フレーという応援用語が死語になったという事情もあろう)。

【フレー】〔hurray〕スポーツ競技などの応援の時に出す声。がんばれ。しっかりやれ。フラー。

森末慎二や池谷幸雄ら往年のメダリストたちも(今さらながら)、体操協会の異常体質に対して(急にハッキリと)物を言うようになってきた。大きな変化だ。

塚原光男さんは朝、家を出る時に、前日の選手の会見について(待ち構えた若い記者やアナウンサーから聞かれ、うっかり)「全部ウソだ」と言ってしまった。その声と映像が各局で一日中、流される。翌朝には、日本中に「悪い人」というイメージが広がる。

「これはマズイ」というので夫妻で熟慮を重ね、選手の代理人弁護士に謝罪文を送る。その全文をスポーツ紙が載せ、テレビが問題個所を解説する。いよいよマズイ。

あの謝罪文を、治五郎が添削してみようか。

まず、自分たちの正当性を主張するのに「信じてもらえないかもしれませんが」という前置きが、なくもがな。

【無くもがな】〔「もがな」は願望の助動詞〕(いっそ)ない方がいいことを表わす。「―の飾り」

「信じてもらえないかもしれませんが」は、日大アメフト部の内田監督(元)も口にしていたが、これは「誰も信じないでしょうね。ウソだから」と言っているに等しい。

「誤解や威圧感を与えたとすれば、私たちが悪い。お詫びします」も全然ダメだ。落ち度は相手にあるという話であって、謝罪になってない。

「郵便ポストが赤いのも、みんな私が悪いのよ」という潔い(行き過ぎた)謝り方が、今の日本人には出来ないのだ。(そうしろと言っているわけではないんだが)