「鶏口」ト「牛後」ヲ論ズ

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 けいこう【鶏口】〔「ニワトリの口」の意〕「―となるも牛後となるなかれ〔=大きな団体で部下になっているよりも、小さな団体でも かしらになった方が精神衛生上いい〕

 ぎゅうご【牛後】〔牛の尻(の方)の意〕強大な者につき従う者。大きな団体の、低い地位(の人)。「―となるなかれ」⇨鶏口

これが古人の教えである。今風に言えば、小さな企業の社長になった方が大企業の半端な地位で終わるよりはマシだということになるだろう。テレビドラマ「下町ロケット」の人気の陰には、この考え方への共感があるように思う。

治五郎は、鶏口=写真左=ではなく牛後=同右=の道を選んで、37年間の長きにわたる勤労生活を終えた。自分の偏った性格と指向に照らして、全く反省すべき点はない。

①出世したいとか金を儲けようとかいう欲望がない ②欲があるとすれば、新聞という媒体を利用して書きたいことを書き、遊び心の分かる読者がいたら面白がらせたい

もう少し詳しく言うと、まず「管理職」というものになりたくない。自分さえ書けていればいいので、自社製品(紙面)全体の評価は二の次。(ひどい社員がいたもんだ)

自分の収入がいくらなのかも知らない男が、会社を興したりできるわけがない。しかし生活の心配をせずに原稿を書き続けるのに、新聞社ほど居心地のいい場所はない。会いたい人や行きたい国があれば、しかるべき届けを出せばいいのだ。

「来週、沖縄に行きます。3日じゃ足りないので、4泊」「今度の企画ではアラスカに行く必要がある。10日下さい」。まあ、大体は通る。ワシが何の罪悪感も無しでいられるのも、帰ってから死に物狂いで書いた原稿がデスクを通ったお陰だろう。

「バカな上司とは喧嘩をしないこと」というのも、大事な教訓。そこを我慢できなかったばかりに、編集現場を去った尊敬すべき先輩を何人も知っている。

牛の尻(の方)を見る機会が最近は少ないのが、少し寂しい。