「火宅の人」が「帰宅の人」から同期会に誘われる

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「火宅の人」といえば普通、文壇で〝最後の無頼派〟と呼ばれた檀一雄(1912~1976)の小説や、同名の映画(1986年、緒形拳主演)を指すだろう。

火宅のイメージとしては、上の写真のようなものが正しいのではないかと思う。

【火宅】〔火事にあって燃え盛る邸宅の意〕〔仏教で〕煩悩の止む時が無く、安らぎを得ない三界。

三界(さんがい)について説明を試みると、治五郎の手には負えなくなるから割愛。

 読売新聞記者の1976年(昭和51年)入社組は、よく〝花の51年組〟と呼ばれる。(呼んでいるのは当事者たちだけ。オイルショック後の不景気で採用人数が例年よりグンと少なかったのは確かだが、〝花〟の根拠は何一つない)

入社式に臨んだのは確か17人で、東日本の各支局に一人ずつ配属された。試験の成績が良かったと思われる上位三人が、2~3年で次々に辞めた事実からも、当時の労働条件や職場環境の厳しさが伺われる。(もちろんパワーハラスメントなどというものは、実態はさておき言葉としてはまだ全く存在していなかった)

 入社当時から治五郎と妙に馬が合ったのがK林(小Bでも可)で、同じ文化部でも10年ぐらい一緒だった。ワシを陰・暗・鈍とすれば、彼は陽・明・鋭と表現されるべき存在で、合うはずはないんだが、なぜか合う。(世の中では、よくある現象)

互いの実生活を観察するともなく観察するうちに、いつしか彼はワシのことを「火宅の人」と呼び、ワシは彼のことを「帰宅の人」と称するようになった。

【帰宅】自分の家に帰ること。

「おっ、帰宅の人。もう帰るのか」「やあ火宅の人。羽目を外すなよ」てなもんだ。

K林こと小B(要するに小林だ)は、のちに中央公論新社の社長になり会長にもなり、その職責を全うした同期生中の〝出世頭〟なのだが、今でも「火宅の人」の暮らし向きを気にかけてくれているらしい。

先週、彼から電話があって「久しぶりに同期会の話が持ち上がっているんだけど、来られない?」と言う。いろんな同期生の顔が浮かんで、つい「行くよ」と答えたが、自称〝世捨て人〟としては、いかがなものだろう。

この系列の話、ブログで今後しばらくは続くかもしれない。あしからず。